バスと電車と足で行くひろしま山日記 第60回 (仮称)瀬野八(せのはち)アルプス(広島市安芸区・東広島市)

「東の箱根、西の瀬野八」は、鉄道ファンにはよく知られた在来線の難所だ。東海道線の箱根越えは、1934年に伊豆半島の付け根を貫く丹那トンネルが開通したことで解消されたが、「瀬野八」ことJR山陽線の瀬野駅-八本松駅間はいまも「現役」だ。10.6キロの駅間の標高差は実に約200メートル。急勾配とカーブが連続する上りの貨物列車には後ろから押す補助機関車がついているほどだ。鉄路の南側には600メートル級の山並みが続いている。水丸山(659.8メートル)から曾場ヶ城山(そばがじょうやま 606.8メートル)に至る稜線には縦走路があり、「ご当地アルプス」というにふさわしい。上りの累積標高は約990メートルもあり、鉄道の「瀬野八」に劣らぬ上りごたえだ。勝手に(仮称)「瀬野八アルプス」と名付けたルートに挑戦してみた。

 

JR八本松駅から見た曾場ヶ城山

 

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ
行き)JR山陽線(おとな片道330円)/横川(6:28)→(6:55)瀬野
帰り)JR山陽線(おとな片道510円)/八本松(13:57)→(14:34)新白島

 

 


彼岸の中日を彩る赤い花


スタートは瀬野駅。最近では北側のみどり坂団地を結ぶ新交通システム「スカイレール」の廃止決定が話題になった。ここにはかつて「瀬野八」を上る列車を後ろから押す機関車と運転士らが待機する瀬野機関区が置かれていた。機関車の接続機能が広島駅に隣接する広島機関区に変更されたため役割を終え、1986年に廃止された。北口に立つ説明板によると、最盛期の1951年には25両の機関車と200人近い職員が所属していたという。大変な活気だったことが想像できる。

 

JR瀬野駅に立つ瀬野機関区の説明板

 

南口に回って国道2号を渡り、旧西国街道を東に向かう。最高所となる八本松近くの大山峠(標高350メートル)は街道有数の難所だったそうだ。

 

旧西国街道の一里塚跡。四日市は現在の西条の旧名

 

旧西国街道の案内板。大山峠は有数の難所だった

 

登山口までは約3.5キロの舗装路を歩く。この日は秋分の日、彼岸の中日でもある。沿道にはあちこちに鮮やかな赤色のヒガンバナが咲いている。9月も下旬に入ったというのに相変わらずの猛暑だったが、季節の移ろいも感じさせてくれた。

 

瀬野川沿いを登山口に向かう

 

登山口に向かう道沿いに咲くヒガンバナ

 


クモの巣だらけの急登


東広島・安芸バイパスの高架橋の手前から本格的な山道に入る。案内標識は小さく地味だが、踏み跡はしっかりしている。上り始めて間もなく、いきなり顔にクモの巣が引っかかった。かなり丈夫で、簡単には切れない。後ずさりして脱出し、トレッキングポールを振り回して巣を取り除いた。

 

控えめな水丸山の案内標識

 

道はわかりやすいのだが…

 

道をふさぐように張り巡らされたクモの巣に閉口

 

そう、夏から秋にかけての季節、とりわけ9月はクモの産卵期にあたり、エサとなる昆虫を捕食するために巣を張る。一定の空間が確保でき、あまり人が通らない登山道は巣を張りやすいためか、クモの巣だらけになるのだ。そういえば、昨年9月に行った河平連山(https://hread.home-tv.co.jp/post-196207/)や一昨年10月初めに行った似島(https://hread.home-tv.co.jp/post-102057/)でもクモの巣には悩まされた。

クモは害虫を食べてくれる益虫でもあるので、あまり邪険にしたくはないのだが、道いっぱいに張り巡らされているとそうもいかない。できるだけ通行に支障がない程度に巣を切り開いて進むのだが、それでも数十回、もしかしたら100回以上もポールを振るわざるを得なかった。

加えて水丸山へ向かう登山道は急登の連続。右手のトレッキングポールは常に前方で振り回している状態なので体力の消耗が激しい。林間の道でわりと涼しいのが救いだが、ペースは上がらない。登山口から約1時間20分で眺望がきく尾根筋に出た。南側には安芸アルプス㊤(https://hread.home-tv.co.jp/post-233463/)で紹介した鉾取山(711.1メートル)が見渡せた。

 

安芸アルプスの主峰・鉾取山

 


賀茂台地と連山を望める水丸山


さらに20分ほど上ると、縦走路と水丸山の山頂に向かう道の分岐に出た。ルート最高峰の水丸山に向かう。傾斜はさらに急になり、補助ロープが結ばれている。息を切らすこと10分、山頂に到着した。

 

水丸山の山頂への急登

 

頂上は広場になっており、ベンチもしつらえてある。眺望はあまり期待していなかったのだが、北側が開けており、賀茂台地とその中心部の西条盆地が一望できる。これから向かう曾場ヶ城山までのピークの連なりも確認できた。瀬野からは標高差にして600メートルほどの急斜面を上ってきたが、眼下の西条盆地は標高200~250メートル前後なので相当近く感じる。「瀬野八」の高低差を実感した。

 

水丸山の頂上広場

 

西条盆地を見下ろす

 


岩稜帯に難渋


ここまでに結構体力を使ったので、時間は早いが菓子パンとソーセージでエネルギーを補給。食べ終えて景色を眺めていると「ブーン」という羽音が。「またアブか」と思って振り返ると、なんとスズメバチが1匹。這う這うの体で荷物をまとめて広場を後にした。

 

これから向かう曾場ヶ城山へのピークの連なりを望む

 

縦走路に戻る。比較的歩きやすい道だったが、弥仙山(561メートル)を過ぎたあたりから岩だらけの尾根になり、歩きにくいことこの上ない。岩場は踏み跡もわかりにくくなるので、油断していると道を間違いかけることも。登山アプリYAMAPのGPS地図とにらめっこしながら慎重にルートをたどるのだが、ペースは落ちる。小倉山(561メートル)を過ぎるあたりまでは難渋しながらの歩きとなった。

 

歩きにくい岩稜が続く

 


中世の山城跡へ


「瀬野八アルプス」の最終ピーク、曾場ヶ城山はその名の通り、戦国時代に築かれた山城があった山だ。606.8メートルの最高地点は平坦地になっており、「一つが城(あるいは一ツ城、一ヶ城とも)」と呼ばれている。そこから北に向かって本丸跡、二の丸跡、三の丸跡などの郭の跡が残っている。

 

曾場ヶ城山の山頂

 

本丸跡

 

室町時代後期には山陰の尼子氏と周防の大内氏が西条盆地一帯の支配権をめぐって争った。大永年間(1521~1528)には尼子氏が覇権を握ったこともあったが、その後大内氏が勝利し、曾場ヶ城には大内氏配下の杉野孝兼が城主として入ったという。

本丸跡から二の丸跡に向かう道沿いにはヤダケが茂っている。弓矢の矢の材料として使われたササの一種で、戦国時代に合戦の際に使うために植えられたのかもしれない。

 

二の丸跡に続く道沿いに茂るヤダケ

 

巨石の残る三の丸跡

 

城跡から八本松駅への下山路はよく歩かれているらしく、前半悩まされたクモの巣もほとんどない。下山路の途中には巨岩に約150人余り戦没者の名を刻んだ供養塔があった。山中の自然石をそのまま生かした慰霊碑は初めて見た。建立者の平和への思いを感じつつ八本松駅へ向かった。

 

巨大な自然石に戦没者の名を刻んだ供養塔

 

JR八本松駅から見た曾場ヶ城山

 

総歩行距離は12.2キロ、時間は6時間44分だった。

 

2023.9.23(土・祝)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
LINE はてブ Pocket