バスと電車と足で行くひろしま山日記 遠征編 美ヶ原(長野県松本市・上田市・長和町)

山好きにとって深田久弥(1903-1971)の著した「日本百名山」に選ばれた山々はあこがれの存在だ。名山を選ぶ際に「品格」「歴史」「個性」の3つの基準を設定し、付加的条件として1500メートル以上の標高を挙げた。この標高条件が壁となり、中国地方からは残念ながら92座目の大山(1709.4メートル=弥山)しか入っていない。圧倒的に多いのは北アルプス、中央アルプス、南アルプスなど中部山岳地帯の高峰だ。一方でそれなりの技術と装備を必要とする山が多く、広島からは遠いためそうそう気軽には行くことはできない。その中にあって、電車とバスでほぼ最高地点まで行けるのが61座目の美ヶ原(2034メートル)だ。「アルプスの展望台」と称される高原へ、2泊3日の旅の散策記をまとめた。

 

松本市街地から見た美ヶ原高原・王ヶ鼻

 

▼今回のルート

【行き】JR中央線・しなの5号/名古屋(9:00)→松本(11:05)
【帰り】JR中央線・しなの18号/松本(15:53)→名古屋(18:07)
*名古屋までは新幹線、松本駅~美ヶ原は宿泊先の送迎バスを利用
*美ヶ原高原はマイカーやレンタカーの乗り入れが規制されており、登山者や観光客が高原の核心部まで行くには宿泊施設の送迎バスを利用する。車なら自然保護センターか山本小屋ふる里館の駐車場へ。最高地点の王ヶ頭までは自然保護センターから30~40分(標高差約100メートル)、山本小屋ふる里館から70分(標高差約80メートル)ほど歩く。

 

 


猛暑知らずの別天地


松本市の市街地から東を見上げると、電波塔を載せた兜のように盛り上がった山が目に飛び込んでくる。右端は岩場になっているのが見て取れる。目指す美ヶ原高原の西端に位置する王ヶ鼻だ。これからあの高地まで行くと思うと心が弾む。

JR松本駅前を出たバスは林道美ヶ原スカイラインを通って高原へ向かう。途中、安土桃山時代から江戸時代にかけて建設された灌漑用のため池に端を発する美鈴湖を経て曲がりくねった道路をぐんぐん高度を上げていく。約1時間半をかけて美ヶ原高原に到着した。9月に入っても厳しい残暑が続いており、標高約600メートルの松本市も最高気温は35度を超えていたが、美ヶ原の気温は20度ほど。まさに別天地だ。

遮るもののない広い空と、2000メートル前後の高さを保ちながら穏やかに起伏する広大な草原に圧倒される。深田久弥は「その高さに、広さを加えると、まさに日本一かもしれない」と記し、詩人の尾崎喜八(1892-1974)は「登リツイテ不意ニ開ケタ眼前ノ風景ニシバラクハ世界ノ天井ガ抜ケタカト思ウ。(中略)此ノ高サニオケル此ノ広ガリノ把握ニ尚モクルシム。無制限ナ、オオドカナ、荒ッポクテ新鮮ナ此ノ風景ノ情緒ハタダ身ニシミルヨウニ本源的デ尋常ノ尺度ニハマルデ桁(けた)ガハズレテイル(後略)」(美しの塔の銘板から)とうたっている。それほどにこの高原のスケールは大きい。

かつては火山噴火によって形成された溶岩台地といわれていた。最近は、火山性の凝灰岩や礫岩(れきがん)が堆積した場所が隆起し、その後侵食されて準平原化したといわれている。

 

標高約2000メートルに広がる美ヶ原の草原

 


北アルプスの大展望


美ヶ原では、日本の3000メートル級の山々のほとんどを見渡すことができる。絶景ポイントは松本市から見上げた王ヶ鼻だ。先端の岩に立って西側を見ると、北アルプスの秀峰群の大パノラマが眼前に展開する。正面に岩稜が連なる穂高連峰(最高峰は奥穂高岳3190メートル)が存在感を放ち、尾根が大きく切れ落ちている大キレットを経て右に「日本のマッターホルン」と呼ばれる槍ヶ岳(3180メール)の三角の尖峰が目に入る。さらに右には台形の山容が特徴的な立山(3015メートル)、白馬連峰が続く。

 

王ヶ鼻から松本市街地を見下ろす

 

王ヶ鼻から見た穂高連峰

 

槍ヶ岳(中央の尖峰)

 

穂高連峰の左に目を転じると、優しい山容の乗鞍岳(3026メートル)。山頂直下までバス便が通じているので気軽に上れる3000メートル峰として人気がある。
さらに左に行くとひときわ巨大さと神聖さを備える独立峰の御嶽山(3067メートル)。2014年9月の噴火で多くの犠牲者を出したが、古くから信仰の山として知られている。王ヶ鼻の岩の上にはいくつもの石仏が御嶽山の方向を向いて鎮座している。平野部からは御嶽山が見えないため、人々は王ヶ鼻の石仏に向かって拝むことで御嶽山への信仰をつないでいたという。

 

乗鞍岳

 

堂々たる独立峰の御嶽山

 

王ヶ鼻の石仏群。御嶽山を向いている

 


中央アルプス、南アルプス、そして…富士山


御嶽山から木曽谷を挟んで立ちあがる山塊は中央アルプス。盟主は木曽駒ケ岳(2956メートル)だ。伊那谷を越えると南アルプスの高峰群。少し距離があるので北アルプスほどの迫力はないが、奥穂高岳と並ぶ日本3位の高峰・間ノ岳(あいのだけ、3190メートル)、第2位の北岳(3193メートル)などが並ぶ。そして、少し間隔をあけて遠く最高峰・富士山(3776メートル)が堂々たるシルエットを見せる。さらに八ヶ岳連峰、端正な成層火山の蓼科山(2531メートル)まで。望むことができる。

 

南アルプスと富士山

 

富士山のシルエット

 

王ヶ鼻からは見えないが、王ヶ頭側に回ると北信5岳(ほくしんごがく)と呼ばれる斑尾山、妙高山、黒姫山、飯縄山、戸隠山の峰々、時折噴煙を上げる浅間山(2568メートル)、秩父連峰も見渡せる。

 


「遊ぶ山」の多彩な遊歩道


深田久弥は「山には、登る山と遊ぶ山とがある。前者は息を切らし汗を流し、ようやく頂上に辿(たど)り着いて快哉を叫ぶという風であり、後者は歌でもうたいながら気ままに歩く」(62座・霧ケ峰)と書いている。その意味では、美ヶ原も「遊ぶ山」になるだろう。

のどかに牛たちが草を食む牧場が広がる高原内の主な遊歩道は、車道を兼ねた未舗装の砂利道だ(地図に黄土色で表示)。宿泊施設のバスが通ると砂ぼこりが上がるのには閉口するが、歩きやすい。有名な美しの塔も道沿いにある。この道を歩いて高原内を散策するだけならスニーカーなどの運動靴でも十分だ。

 

遊歩道に沿って広がる美ヶ原牧場

 

砂利道の遊歩道

 

美しの塔。後方は王ヶ頭

 

少し山歩きらしい雰囲気を味わいたければ、高原エリアの北端に当たる武石峰(1972.9メートル)を目指そう。王ヶ頭から車道か「天狗の露地」とよばれる山道を下り、自然保護センターの駐車場横から遊歩道に入る。車道に並行する道は林間あり、草原あり、丘越えありで変化に富み、快適に歩くことができる。最後の武石峰山頂への上りは少し急な木段もあるが、標高差は70メートルほど。あっという間に頂上に着く。山上には石仏が鎮座。北側には立山が王ヶ鼻からよりもぐっと近くに見える。振り返れば王ヶ頭、王ヶ鼻の稜線、その向こうに蓼科山がのぞいている。ここまで1時間20分ほどの道のりだ。よく整備された歩きやすい道だが、滑りやすいところもあるので足元にはトレッキングシューズを用意すると安心だ。

 

最高地点の王ヶ頭

 

自然保護センター駐車場の遊歩道入口

 

草原の遊歩道

 

武石峰から見た王ヶ鼻、王ヶ頭。左は蓼科山

 

武石峰山頂の石仏

 


光の絶景と高山植物


高原で宿泊すると、下界では見ることができない夜明けの美しさを楽しむことができる。

朝午前4時過ぎに起き出すと、東の空はまだ暗く、明けの明星こと金星が輝いている。しばらくすると地平線がオレンジ色に染まり始め、濃い群青色だった空が青みを増していく。地平線の下にある太陽から光の柱が放射状に広がる反薄明光線と呼ばれる現象も見ることができた。雲海が谷を埋め、草原を覆う現象や、夜明け前の浅間山から噴煙のシルエットが立ち上る幻想的な光景もすばらしかった。

 

夜明け前の空。右上に金星が輝き、地平線から光の柱が広がる

 

噴煙を上げる浅間山

 

高原散策では遊歩道沿いに咲く数々の高山植物の花もお楽しみ。よく見かけるのは紫のマツムシソウ、ピンクのタチフウロ、白い花弁のウメバチソウ、ノコンギク、黄色の小花が密集するアキノキリンソウ、紫の釣鐘型の花が咲くツリガネニンジン、赤い実をつけたコケモモなど、滞在中に多くの花々に出会うことができた。天候にも恵まれ、満足感いっぱいの山旅だった。

 

マツムシソウ

 

ウメバチソウ

 

ノコンギク

 

アキノキリンソウ

 

ツリガネニンジン

 

コケモモ。甘酸っぱいらしい

 

2023.9.1~3取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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