【原田製麺】広島の戦後復興を支えた麺の誕生秘話 | ひろしま覆麺調査団番外編
8月6日放送のひろしま覆麺調査団は番外編。
広島が戦後復興するにあたり、広島ラーメンが市民の胃袋と心を支えた歴史について知るべく、てつじとまつはましんは「原田製麺」を訪れました。
「歴史をわかったうえでラーメンを味わいたい」と話すてつじ
ひろしま覆麺調査団とは===
目隠し(通称:覆麺)をして感覚を研ぎ澄まし、至高の一杯を調査します。
【麺バー】
・てつじ(シャンプーハット)
【見届け人】
・まつはましん
【本日欠席の麺バー】
・“県民の孫” 池田裕楽(STU48)
・中田麺
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【原田製麺】
これまで数々のお店を調査してきたひろしま覆麺調査団。
「どこの麺を使っていますか?」という質問に、この原田製麺をあげるお店も少なくありませんでした。
てつじは16年前に大阪の番組で原田製麺に訪問したことがあるそうで、会長の原田浩二さんとは顔見知り。
てつじは16年ぶりに原田会長と再会
原田会長は80歳(取材時)。原爆が投下された2カ月後に生まれたと話します。
会長の両親は被爆したそうで、会長は胎内被爆と言います
「原爆の風で屋根が落ちて、母の身体が挟まれてしまった。親父が飛んできて引き出したそうですが、被爆後3日くらい胎動しなかったそうです。死んだのではないかと思ったそうですが、3日後にヒョコッと動いたそうで。『これはしつこい子だ』と思ったらしいです」(原田会長)
被爆当時の話をしてくれた会長
もともと、会長の母親の実家が製麺所を営んでいたそう。
母親の兄に誘われ、網元をしていた父親が製麺所を開き、原田製麺が誕生しました。
創業当初は、ラーメンではなく、うどんの製麺だけをしていたそうです。
「ラーメンはお好きですか?」というてつじの質問に「(お腹が)こんなになってから……」と答える原田会長
原田会長が子どもの頃には、広島のまちは復興して電車も走っていたそうです。そんな広島のラーメンのルーツは屋台。
「流川とか銀山町とかは全部屋台だった」
と原田会長は言います。
家族と屋台でラーメンを食べた思い出もあるのかな?と思いきや……
「うちの母は、ラーメンは食べんのです。うどんの製麺所だから(笑)」
原田会長の母親は食べる麺にもこだわりがあったようです
うどんの製麺だけをしていた原田製麺ですが、広島冷麺の元祖である「新華園」の大将を紹介してもらったことがきっかけで、中華麺を作るようになったそうです。
この時、原田会長は小学生。麺の配達など家業を手伝っていたと言います。
この出会いが中華麺の作り方を知るきっかけになったそう
「当時(昭和30年代頃)のラーメンの値段は?」と質問するまつはましん。
「250円かな。親父に教えてもらったのは、そば玉が1個25円だったらラーメン1杯250円。10倍で考えればいいって」と原田会長は答えます。
原田会長と話すてつじとまつはましん
「原田会長が当時食べたラーメンの味は覚えてます?」とてつじ。
「なんとなく覚えています」と話す原田会長。また、当時の広島のラーメン文化が誕生した背景についてもこう話します。
「(ラーメンは)九州が有名でしょ。そして和歌山が有名で、そうすると広島が飛んでいて、これはいけないと。みんなもそう思っていたらしくて、それで、独特のものを考えたんです」
広島ならではのラーメンを模索した結果が、今でも愛される醤油とんこつの広島ラーメンだと言います。
“広島ラーメン”として定着した醤油とんこつの一杯
「広島ラーメン草創期はお店と一緒に麺づくりに取り組んだんですか?」とたずねるてつじに、「いやいや、うちはそんな器用なことは……(笑)」と苦笑いする原田会長。
「うちはこの麺しかないから、これであわせて!」とお店にお願いしていたそうです。
お店のスープによって麺を作り変えることはしていない。この話に驚くてつじとまつはましん
「『原田さんの所の麺が一番ですね』とか言われたら涙が出ますね」としみじみ話す原田会長。
「ひろしま覆麺調査団」の取材でも原田製麺の麺を使いたいというお店が多いとてつじ達が話すと
「いつでも電話してくれたら持っていきますけど!」と原田会長は意気込みます。
これには、「いやいや、そういうことじゃなくて(笑)」(てつじ)
「会長、僕ら今、発注はしていないんです(笑)」(まつはましん)
と二人は少し困惑。
原田製麺を使いたいというお店が多いと聞き、「いつでも持っていく」と原田会長
原田製麺は、注文があれば1玉からでも配達するそう。
これは会長の母親の教えで、創業から変わらない経営方針なんだそうです。
「1玉でも届ける」この気持ちが広島の戦後復興を支えました。
「麺にも“人柄”がめっちゃ入っている」とてつじ
「お好み焼きとラーメンが戦後の広島を支えていた?」というてつじの質問に、原田会長は「絶対ですね!」と力強く答えます。
原田製麺は、お好み焼きの麺も作っているそうです。
「原田製麺なかったら広島の食文化ないですよ!」と驚くてつじ。
「そこまで言われたら恥ずかしい……」と原田会長。
褒められて少し照れてしまった原田会長
「ロケの時は店に入る前に(原田製麺の麺か)聞いてから入って」お茶目な原田会長
原田会長は胎内被爆者として、2年ごとに病院で検査を受けているそうです。
原爆の怖さを実感している一方、互いを分かりあうことが平和につながることも知っている原田会長。
「アメリカに対して、やった事はいけないけれど、そんなに憎しみはない。平和公園でも小学生が通訳で外国人と話しているのを見ると涙が出ますね。
そういうのが広がっていけば、戦争が起きるわけない」(原田会長)
平和について語る原田会長
今回の取材を終え、
「同じ味、同じものを食べるということが平和なんやなと。同じ思いをみんながしていくことが改めて平和なんだなと思いました」
と振り返るてつじ。
戦後の胃袋を支えるということは、みなさんの気持ちを支えたんだなと実感したと話します。
先人たちが築き上げた麺文化に敬意を持ち、ひろしま覆麺調査団は、これからも至極の一杯を調査していきます。
広島ホームテレビ『ピタニュー』(2026年8月6日放送)
ライター:神原知里
※この記事の情報は番組放送時点のものです。情報は変更になる場合があります。
