【ピタニュー特集】戦後を乗り越え白球追った「1946年の女子塁球部」。うえむらちかさんがつなぐ祖母の物語
安田女子高校のソフトボール部は、今年で創業80年を迎えました。
その初代キャプテンを務めたのが、ピタニュー金曜日パートナーでタレント・小説家のうえむらちかさんの祖母・草田カズヱさんです。
1945年8月6日、当時の安田高等女学校では、生徒と職員を合わせて328名が原爆の犠牲になりました。
そんな何もなくなった学校に希望の光として誕生したのが、ソフトボール部でした。
この特集では、うえむらさんの祖母・カズヱさんの記憶を辿ります。
元祖カープ女子
カズヱさんは昭和5年生まれの96歳。
一昨年、足を骨折して入院し、今は自宅近くの福祉施設で生活しています。
2015年、カズヱさんは“元祖カープ女子”として球団が募集した1日ホームランガールに選ばれました。
あれから11年が経った今も、うえむらさんと試合を見に行く大のカープファンです。
しかし、そんなカズヱさんには忘れることのできないつらい記憶があります。
1945年8月6日、カズヱさんは15歳の時に被爆しました。
爆心地からおよそ2km、現在の南区大須賀町にあった友人の家にいた時のことでした。
安田高等女学校の慰霊碑には、被爆した時にカズヱさんと一緒にいて、およそ半年後に15歳で亡くなった友人の梅本美和子さんの名前も刻まれています。
亡き友の姉と78年ぶりの再会
2023年には、カズヱさんにとってうれしい出来事もありました。
美和子さんの姉・美喜子さんとの再会です。
美喜子さんは当時20歳で被爆。
被爆直後、カズヱさんと一緒に当時広島駅の裏手にあった東練兵場へ避難し、そこで別れて以来78年ぶりの再会でした。
再会した当時は98歳だった美喜子さんは、取材のおよそ半年後、2024年1月に妹の美和子さんのもとへ旅立ちました。
“希望の白球”創部80年のソフトボール部の初代キャプテン
今年で96歳となったカズヱさん。
この日はうえむらさんと一緒に、思い出の場所を訪れました。
前回の取材から3年ぶりの訪問です。
訪れたのは、母校・安田学園のソフトボール部が活動する練習場です。
戦後、復興のともしびが灯りはじめるなか、生徒に希望を持ってほしいと創設されたソフトボール部。
運動が得意だったカズヱさんは、その1期生として部の初代キャプテンを務めました。
練習場所は、焼け跡となった校庭。
生徒たちは自分たちでがれきを片付け、最初はグローブもなく、素手でボールを追いかけていました。
ソフトボール部の練習風景を見ながら、「グラウンドといっても、昔はこんな芝生もありはしないし、カツカツで練習ができるという環境だった」と当時を振り返るカズヱさん。
「女子が野球なんて」という厳しい目もあったといいますが、被爆から2年後の1947年には、初めて開催された県大会で見事優勝を飾りました。
後輩たちが練習する姿を見ながら、「もうちょっと気合入れないといけん」「先輩としてえらそうなことを言うようなけど」と笑顔のカズヱさん。
ソフトボール部は県内の強豪校として、今年創設80年を迎えました。
カズヱさんたちの想いと努力は、時代を越えて現代にも息づいています。
次の世代へ。孫が記した1冊
6月、うえむらさんはある本の完成をカズヱさんに報告しました。
タイトルは『1946年の女子塁球部』。
カズヱさんの被爆体験やソフトボール部での話を、うえむらさんは10年かけて書き下ろしました。
戦後、白球を追いかけて前を向いた少女たちの青春トーリー。
当時女学生だったカズヱさんが主人公のセミノンフィクション小説です。
家族の被爆体験を伝える「家族伝承者」の研修も続けているうえむらさん。
祖母の記憶を、次の世代へとつないでいきます。
【7/11】うえむらちか『1946年の女子塁球部』刊行記念トークイベント&サイン会
うえむらさんと、読書家で知られる広島ドラゴンフライズの寺嶋良さんの対談形式でおこなわれるトークイベントです。
参加には事前予約が必要です。
<開催日時>
2026年7月11日(土)16:00~18:00(開場15:30)
<会場>
広島 蔦屋書店(LECT内)2号館2F SQUARE GALLARY
<参加費>
2,500円(税込)
※書籍代+イベント参加券
※事前に書籍をご購入されている方でも、「書籍+イベント参加券(2,500円)」をご購入いただいた方のみ参加可能です。
<詳細>
https://store.tsite.jp/hiroshima/event/magazine/55097-1637550616.html
広島ホームテレビ『ピタニュー』(2026年6月26日放送)
ひろしまリード編集部