バスと電車と足で行くひろしま山日記 第83回 佐木島アルペンルート(三原市)

「しま山100選」に選ばれた大平山の鋭鋒

 

前回柱島の金蔵山(https://hread.home-tv.co.jp/post-441820/)を紹介した際、「しま山100選」(https://www.nijinet.or.jp/about/activities/tabid/201/Default.aspx)に触れた。広島県内からは11座が選ばれており、本連載でも第19回江田島・古鷹山(https://hread.home-tv.co.jp/post-133570/)や第54回大崎上島・神峰山(https://hread.home-tv.co.jp/post-253566/)など6座に登っている。リストを眺めていると、まだ行ったことがない5座のうち、三原市の沖にある離島・佐木島の大平山(たいへいざん)が目に留まった。調べてみると、大平山を含む島の山岳部を縦走する「さぎしまアルペンルート」も設定されている(https://www.nijinet.or.jp/Portals/0/pdf/yama100/sheet/030.pdf)。「瀬戸内の多島美を独り占め」とうたっており、低山ながら変化に富んだコースのようで面白そうだ。秋晴れの1日、電車と船で佐木島へ向かった。

 

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ
行き)
①JR山陽線・呉線(おとな片道1340円)
横川(6:50)→(8:19)三原(8:25)→(8:32)須波
②弓場汽船(おとな片道610円)
須波港(9:25)→向田港(9:42)
帰り)
①土生商船(おとな片道710円)
鷺港(13:22)→三原港(13:35)
②JR山陽線(おとな片道1340円)
三原(13:59)→横川(15:19)

 

 


須波港からフェリーで渡航


JR三原駅から呉線に乗り換え、最初の須波駅で下車。国道185号を南へ歩く。15分ほどで須波港へ。ここから佐木島の向田港・生口島(尾道市)の沢港へ行くフェリーが出ている。乗船が始まると車載スペースはトラックや乗用車、バイク、自転車でほぼいっぱいになった。

 

須波港フェリーターミナル。三原の特産タコの看板

 

佐木島へ渡るフェリー

 

前日の豪雨がうそのような快晴で、海も穏やかだ。客室のある2階デッキに上がって振り返ると、第74回で紹介した葉田竜王山・筆影山(https://hread.home-tv.co.jp/post-361797/)が青空の中に立ち上がっている。

 

フェリーの客室フロアから見た葉田竜王山(左)と筆影山

 

佐木島の向田港までは約3.7キロ。出航すると正面に佐木島が迫ってくる。これから踏破する大平山、狗山(いぬやま)が連なっている。結構なアップダウンがあることが見て取れ、なかなか歩きがいがありそうだ。

 

佐木島(正面)の向田港へ向かう。右のピークが大平山、中央は狗山

 

向田港の入り口。正面は生口島

 


海中の地蔵尊


17分ほどの船旅で向田港に到着した。船着き場のすぐ南側の海中に丸い巨岩があり、中央に地蔵菩薩が刻まれている。広島県重要文化財に指定されている「摩崖和霊石地蔵」(まがいわれいしじぞう)だ。干潮時には蓮華座に坐す地蔵尊の全体が拝めるが、満潮時には肩あたりまで海水に浸かる。到着時は満潮に向かう時間帯で、お腹のあたりから上が現れていた。

 

腰あたりまで海に浸かった摩崖和霊石地蔵

 

鎌倉時代の正安2(1300)年に仏師念心によって作られたことを示す銘があるという。日本全国を旅して独自の民俗学を打ち立て、離島の振興にも力を尽くした宮本常一(みやもと・つねいち 1907-1981)も当地を訪れており、摩崖和霊石地蔵に触れている。

「この島には昔から漁師はいなかった。(中略)ここに地蔵をきざみ、島民がこれをまつり、この地蔵さまを中心にして方一町を殺生禁断の地にした(殺生禁断は)後には島全体におよんだ」(未来社「私の日本地図⑥瀬戸内海Ⅱ芸予の海」)

 

横から見るとこんな感じ

 

重要文化財の説明板

 

そういえば、この島の港には漁船の姿はなかった。島の主産業は農業で、食品スーパー「フレスタホールディングス」(広島市)のグループ会社が高糖度のミニトマト「スイートルビー」を栽培・出荷する農場を開いたり、三原市のシステム開発会社がアスパラガスを栽培するファームを立ち上げたりするなど、新しい動きも出ている。

 


大平山の山頂は


港を後に、大平山を目指す。県道361号を歩いて向田の町へ。10分ほどで「大平山 向田登山口」の看板を左へ。二宮金次郎像のある旧小学校の前を過ぎ、分岐ごとにある標識に従って舗装路の坂を上っていく。住宅街が途切れ、ミカン畑の中の道を上ると登山道の入り口だ。

 

大平山の登山口の標識

 

二宮金次郎像が立つ旧向田小学校跡。さぎしまふるさと館として活用されている

 

みかん畑の横の道を上る

 

大平山登山道の入り口

 

しばらくは倒木などで荒れた道が続くが、標高100メートル近くになると歩きやすい道になる。途中、イノシシのヌタ場があった。ご多分に漏れずこの島もイノシシの被害に悩んでいるのだろう。登山道を歩くこと20分で稜線に出た。「頂上まで0.4キロ」の標識があり、ここから急登になった。息を切らしながら上ること15分、「しま山100選」の大平山山頂に着いた。

 

大平山の山頂に向かう稜線の道。写真ではわかりにくいがかなりの急登

 

山頂広場はベンチもあってくつろげるのだが、樹木や下草が伸びていて眺望はいまひとつ。菓子パンでエネルギーを補給して次のピーク、狗山に向かうことにした。

 

大平山山頂のパノラマ写真。樹木や草が伸び眺望はいまひとつ

 


急坂、急登を経て眺望の山頂へ


海上から見た時、ここから急坂を下り、急坂を上る地形になっていた。覚悟して歩を進める(大袈裟)。下り始めて間もなく、左手に南西側の視界が開けた岩場があった。なかなかの展望ポイントだ。高根島、生口島と瀬戸田の街並み、その向こうに大三島が見える。眼下には向田港と向田の街が広がる。向田港の向かいの半島の先端は造成工事が進められていた。ホテル開発会社「NOT A HOTEL(ノットアホテル)」が世界的建築家ビャルケ・インゲルス氏を起用して設計した富裕層向けの共同所有型リゾート施設になるのだそうだ。ホームページで完成予想映像を見ると、瀬戸内の景観やロケーションを生かした魅力的な施設になるようだが、お値段もとても手が出るレベルではなかった。完成すればこの島の新たなステータスシンボルになることだろう。

 

展望ポイントから南西方向を望む。眼下の半島の先端に富裕層向けの共同所有型リゾート施設が建設されていた

 

標高220メートル付近から転げ落ちそうな急な下りになる。道沿いに張られたロープをつかみながら慎重に下りた。鞍部に着くと比較的平坦な道を15分ほど歩く。振り返ると大平山の鋭鋒が望めた。

 

ロープが設置された急坂を下る

 

これから向かう狗山

 

今度は急登だ。岩場もあり、ロープを頼りに慎重に上る。約20分で狗山の山頂に着いた。すばらしい眺望だ。南東側は因島と生口島、両島をつなぐ生口橋が見える。海上には高速船が白い航跡を引きながら航行している。西側も幸崎の造船所から「うさぎ島」こと大久野島や大三島まで望めた。

 

ヤマツツジが咲いていた。花期は4-6月のはずなのだが……

 

狗山への急登。ロープをつかみながら慎重に上る

 

狗山の山頂に到着

 


ピークハントはあと2つ


時刻は11時50分。本当はここでカップ麺の昼食にするつもりだった。狗山からゴールの鷺港までは標準タイムで1時間15分かかる。鷺港から三原港行きの高速船は13時22分の便を逃すと次は約2時間後になる。ゆっくり湯を沸かして昼食を食べていたらこの便に間に合わない。幸いそれほど疲れてはいなかったので、おにぎりと、行動食として用意していたフィッシュソーセージでささっと昼食を済ませて出発した。

 

南東方向を望む。左が因島、右が生口島。両島をつないでいるのが生口橋

 

西側の眺望。左は高根島。中央に見える平坦な島が大久野島

 

狗山からの下りがまた半端ない急坂だ。滑らないように注意しながら突破し、鞍部に下りると三古志(さんこし)峠。ここから鷺(佐木)港へ下山するエスケープルートもあるが、3つ目のピークの明神山を目指す。途中大きな松の倒木の下をくぐって進む。標高180メートル付近の小ピークに「さぎしまアルペンルート 明神山」という立派な標識が立てられていた。登山アプリYAMAPの地図ではこの先の165メートルピークが明神山となっている。どっちが正しいのだろう。165メートルピークには「アルペンルート展望台」の標識。うーん、よくわからないがとりあえず両方のピークを踏んだのでよしとしよう。

 

三古志峠

 

明神山の標識。地図とは整合しないが……どちらが正しい?

 

地図上の明神山の場所。「アルペンルート展望台」の標識があった

 

最終4つめのピーク・行者山を経て狗山登山口に下山したのは12時47分。舗装路を歩いて鷺港には13時に到着。無事予定していた帰りの船に間に合った。

 

予定していた帰りの高速船に間に合った

 

総歩行距離は6キロ、行動時間は3時間10分。変化に富んだコース、景色もすばらしく、島山の楽しさを満喫した山行だった。

 

《メモ》映画「裸の島」と宿禰島(すくねじま)

1960年に公開された、広島出身の映画監督新藤兼人さん(故人)の代表作。隣の島から水を小舟で運ばなければならない瀬戸内海の小島(宿禰島がロケ地)の段々畑を耕す農民夫婦(乙羽信子、殿山泰司)が主人公。せりふはほとんどなく、ひたすら労働に打ち込む姿をモノクロームの映像で表現した。1961年のモスクワ国際映画祭でグランプリを受賞し、世界各国で上映されて好評を博した。2013年に宿禰島が競売にかかることになり、「裸の島」を愛する映画人やファンらの寄付で島を購入し、現状のまま保存・継承されることになった。島の頂上には寄付に協力した人たちの名を刻んだモニュメントが設置されている。映画撮影時は畑があった島も無人島となり、木々に覆われている。

三原市芸術文化センター(ポポロ)の片山杜秀館長が宿禰島を訪ねた時の動画がポポロ公式YouTubeチャンネル(https://youtu.be/ut67-iIDdMo)で公開されている。

 

樹林に覆われた宿禰島

 

映画「裸の島」が公開された2年後の1962年5月に撮影された宿禰島の航空写真。島の大部分に畑が開かれている 出典:国土地理院

 

2024.11.3(日)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

 

ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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