バスと電車と足で行くひろしま山日記 第19回古鷹山・クマン岳(江田島市)


猛烈寒波の中で向かうのは


今年の冬は本当に寒い。立春を過ぎて暦の上では春になったが、県北部は積雪が多いし、県南部の山々もちょっと冷え込むとすぐに雪景色になる。スキーヤー、スノーボーダーにはうれしいかもしれないが、雪山の心得のない日帰り登山者には選択肢がどんどん少なくなっていく。雪の積もらない山、となると島だ。広島港(宇品)からフェリーで30分、江田島を代表する古鷹山(394メートル)とクマン岳(399.5メートル)の縦走にトライすることにした。

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ、広島港(宇品)までのバス便は省略
行き)上村汽船(おとな片道470円)/宇品(8:10)→(8:40)切串
帰り)瀬戸内海汽船(おとな片道1080円)/小用(13:34)→(13:54)宇品


海上から独特の山容を楽しむ


自宅を出ると、先週登った白木山は真っ白。背を向けて南に向かう。バスの乗り継ぎが思ったよりもスムーズで、広島港発8時10分の切串行きフェリーに間に合った。2階の客室の最前列に座ると、すばらしい眺めの小さな船旅が楽しめる。無人島の峠島の横を抜けると、江田島が次第に大きくなってくる。まず目につくのは、大小5つのピークが連続しているように見えるクマン岳だ。

切串行きフェリーから見た江田島。中央がクマン岳、左の3つのピークの中央が古鷹山 切串行きフェリーから見た江田島。中央がクマン岳、左の3つのピークの中央が古鷹山

不思議な名前の由来は、昔の住人が守り神にするために木々やシダを組み合わせて大きな熊の形の像を山頂に作ったことから、熊のいる山、「熊ヶ岳」と呼ばれるようになり、だんだんと変化していまの山名になったらしい。そういえば、ミツバチの仲間のクマバチも地域によっては「くまんばち」の俗称で呼ばれている。
クマン岳の左側に、3つのピークが並ぶのが古鷹山だ。中央のピークを頭に見立てると、両側に羽根を広げた鳥のようにも見える。個人的な印象だが、抽象画家のルネ・マグリットの作品「アルンハイムの領地」を連想した。(興味がある方は検索してみてください)伝承によれば、昔難破寸前の小舟の前に大きな鷹が現れて波の静かな江田島湾に導いて山中に去ったことから山頂に「鷹宮大明神」をまつったことが山名の由来とされているが、案外と山容のイメージも影響しているのかもしれない。


急登、急登、また急登


切串に上陸して桟橋を後にすると、ガードレールの脇に「クマン岳」と書かれた小さな看板が立っている。市街地を抜け、クマン岳の東斜面に向かう。途中、ヤブツバキが赤い花をつけていた。15分ほどで標高90メートル地点のクマン岳登山口に着いた。

控え目な港近くの案内看板 控え目な港近くの案内看板 ヤブツバキが花をつけていた ヤブツバキが花をつけていた

ここからが試練だった。海から見てもわかる急斜面の道は急登の連続。尾根までの標高差は約160メートルほどなのだが、それこそ休みなく急坂が続く。気温は5度にも満たないくらいなのだが、あっという間にアウターの下が汗だくになる。振り返ると海越しにテレビ塔の立つ絵下山(593メートル)が見えた。風景はきつい登りの気分転換になる。
標高260メートルの尾根に上がると雰囲気はがらりと変わる。穏やかで明るい林間の道になり、両側に海を見ながら歩ける区間もある。頭上には青空が広がり、気分もペースも上がる。

尾根までは急登の連続 尾根までは急登の連続 尾根上の道から見た似島と広島市街地 尾根上の道から見た似島と広島市街地

眺望抜群のクマン岳山頂


江田島最高峰でもあるクマン岳の頂上に着いたのは9時50分。広島市街地から似島の安芸小富士と下高山、厳島、能美島、大黒神島がぐるりと見渡せる。頂上の広場にはベンチや記念スタンプまで完備。あまり知られていない山だが、時間が合えばここで昼食もいいなと思えた。晴れていたが、廿日市方面の山々が雪雲に包まれているのが気になった。

クマン岳山頂から見た三高の町。ひときわ高いアンテナは中国放送(RCC)ラジオの送信所。後方は厳島の岩船岳クマン岳山頂から見た三高の町。ひときわ高いアンテナは中国放送(RCC)ラジオの送信所。後方は厳島の岩船岳 クマン岳山頂から見た三高の町。ひときわ高いアンテナは中国放送(RCC)ラジオの送信所。後方は厳島の岩船岳

さあ、本日の主題の古鷹山に向かおう。一度林道の峠まで下って登り返すことになる。尾根道は変わらず快適だ。江田島湾を背景に立つ帆立岩。その名の通り、幅広の白い岩が帆船の帆のように見える。ここからの眺望も一見の価値ありだ。

明るい尾根の道。両側に海が見えるところも. 明るい尾根の道。両側に海が見えるところも. 帆立岩。その名の通り帆をかけたよう 帆立岩。その名の通り帆をかけたよう

旧海軍兵学校鍛錬の山へ


古鷹山は南の麓にある旧海軍兵学校の生徒たちが、心身鍛錬のために繰り返し登った山だ。今回は反対側の西側の林道から山頂を目指す。整備された登山道の入り口に「古鷹山 1040M」の木製の案内標識が立っている。柱の部分に言葉が刻まれていた。

 

「一、至誠に悖るなかりしか」

これは、1932年、当時の海軍兵学校校長だった松下元少将が考案し、一日の終わりに生徒たちに実践させた五か条の反省事項「五省」(ごせい)の最初の項目だ。

全文は以下の通り(解釈文は海上自衛隊幹部候補生学校のHPによる)

一、至誠に悖(もと)るなかりしか(誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか)

一、言行に恥づるなかりしか(発言や行動に過ちや反省するところはなかったか)

一、気力に欠くるなかりしか(物事を成し遂げようとする精神力は十分であったか)

一、努力に憾(うら)みなかりしか(目的を達成するために惜しみなく努力したか)

一、不精に亘(わた)るなかりしか(怠けたり面倒くさがったりしたことはなかったか)

 

頂上までの距離を示す標識ごとに一文ずつ刻まれていた。現代にあっても、自らの生き方・行動を顧みるのに必要な言葉のように思う。

古鷹山への登り。西側の登山道は歩きやすい木段の道 古鷹山への登り。西側の登山道は歩きやすい木段の道

360度の展望楽しめる古鷹山


山頂への道は1カ所だけ路盤が崩れているところがあったが、危険はなく、よく整備された歩きやすい道だ。登ること約30分、11時に山頂に着いた。ただ、このころになると急に天気は崩れてきて、雪が舞う中での登頂となった。それでも、わずかの間だったが四国の山並みが垣間見え、眼下には旧海軍兵学校(現在は海上自衛隊幹部候補生学校・第一術科学校)が望めた。

古鷹山の山頂から見た海上自衛隊第一術科学校 古鷹山の山頂から見た海上自衛隊幹部候補生学校・第一術科学校 古鷹山の頂上広場 古鷹山の頂上広場

 

ここで昼食の予定だったが、冷え込んでいるうえまだあまりおなかも空かない。エネルギー補給の菓子パンだけ食べて下山にかかった。せっかくなので、旧海軍兵学校の生徒たちと同じ道をたどってみよう。東側の鞍部に降り、奥小路登山口に出るルートだ。歩きやすい西側の登山道と違い、鞍部までは鎖場とロープが連続する厳しい道だ。慎重に歩を進めて下った。鞍部には古鷹山登頂記念のスタンプ台があった。山頂ではないのに「登頂記念」とは疑問もあるが、ここまで来た人はほぼ間違いなくピークを踏むだろうからまあいいか。ここから下は穏やかな道。山頂から約50分で下山を終えた。

ピークの直下は鎖場とガイドロープが連続する ピークの直下は鎖場とガイドロープが連続する 古鷹山のピークはきれいな円錐形の山容 古鷹山のピークはきれいな円錐形の山容

旧海軍兵学校見学はコロナ禍で休止


登山口から15分ほど歩いて海上自衛隊幹部候補生学校・第一術科学校正門へ。旧海軍兵学校時代に建設されたレンガ造りの旧生徒館や大講堂、教育参考館など重厚な近現代建築群が戦災に遭うことなく残されている。通常なら案内を受けながら施設内の見学ができるのだが、広島県内にまん延防止等重点措置が適用されているため休止中。正門の写真だけ撮影して小用港へ。高速船で帰途についた。結局用意したカレーヌードルは食べないままリュックの中。総歩行距離は8.3キロだった。

海上自衛隊幹部候補生学校・第一術科学校の正門。コロナ禍で見学は休止中 海上自衛隊幹部候補生学校・第一術科学校の正門。コロナ禍で見学は休止中 小用港から乗った高速船。広島港まで約20分のプチ船旅 小用港から乗った高速船。広島港まで約20分のプチ船旅

2022.2.6(日)取材≪掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください≫

ライター えむ
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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