バスと電車と足で行くひろしま山日記 第78回 長者山・麻美山・東中倉山・八世以山(前編)(広島市安芸区・東広島市)

左から長者山、麻美山、長者屋敷跡のある無名峰

 

大和朝廷が663年に朝鮮半島の白村江で唐・新羅連合軍と戦って大敗した後、対馬から九州、瀬戸内海沿岸、近畿地方の各地に防備のために多くの古代山城が築かれた。日本書紀や続日本紀などの史書に記録が残っていないものも含めると、20数か所にもなる。第67回で紹介した石城山(https://hread.home-tv.co.jp/post-338146/)も史書に記載がない古代山城の一つだった。広島県では備後国に茨城と常城が置かれたことが史書に書かれているものの、安芸国は記録がなく、それらしい遺構も見つかっていない「空白地帯」だった。2024年1月、研究者らでつくる「古代山城研究会」が広島市安芸区と東広島市志和町にまたがる長者山(571メートル)の山域で安芸国の古代山城跡を確認したというニュースが報じられた。新発見の古代山城跡の遺構を見てみようと、現地に向かった。今回はその前編。

 

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ
行き)JR山陽線(おとな片道330円)/横川(7:37)→(8:05)瀬野
みどり坂タウンバス(おとな片道200円)JR瀬野駅北口(8:10)→(8:18)瀬野西五丁目西

 

 


スカイレール代替バスに乗って


長者山は第16回に掲載した呉娑々宇山(https://hread.home-tv.co.jp/post-128519/)から北東に伸びる稜線上にある。みつぎ登山口の最寄りとなるバス路線は平日のみの運行なので、JR瀬野駅からみどり坂団地を越えていくしかない。日本唯一の新交通システムだったスカイレールが4月末で廃止されたため、代替として運転が始まったみどり坂タウンバスを利用することにした。JR瀬野駅前を出たEVバスは、団地内の急坂もすいすい上っていく。団地上部の瀬野西五丁目西停留所で下り、舗装路を15分ほど歩くとみつぎ登山口だ。

 

スカイレールに代わる団地の足「みどり坂タウンバス」。青い車体が印象的

 

車内は広々。跳ね上げ式の座席なので混雑時は乗車人数を増やせる

 

擁壁の隙間に咲いていたヒルザキツキミソウ

 

ここから標高差200メートルの稜線上にあるミノコージ峠を目指す。登山道は比較的整備されているが、傾斜が急になる350メートルより上は豪雨被害の跡が残る荒れ気味の道だ。約35分で標高420メートルのミノコージ峠に到着した。

 

みつぎ登山口。ここからミノコージ峠へ向かう

 

大古場。由来は不明

 

ミノコージ峠。右手の縦走路を上る

 


千丈岩から長者山へ


稜線上の縦走路はよく整備された歩きやすい道だ。すぐに無名峰(555メートル)への上りが始まる。高圧線の鉄塔を過ぎ、無名峰のピークを下ったところが千丈岩展望地だ。眼下にみどり坂団地と瀬野の街並みが望め、正面には標高711.1メートル、安芸アルプスの主峰鉾取山(https://hread.home-tv.co.jp/post-233463/)が鎮座している。その向こうには第76回で登った小田山(https://hread.home-tv.co.jp/post-368887/)、さらに遠くに見えるのは第13回の野呂山(https://hread.home-tv.co.jp/post-125581/)だ。今回のルート前半で最も眺めの良いポイントだ。

 

千丈岩からの眺望。鉾取山、小田山、野呂山が見える

 

千丈岩

 

菓子パンでエネルギーを補給し、一息入れて先を急ぐ。ロープを頼りに岩場を下り、下立石登山口からの道の合流点を過ぎるとまたも急登だ。ロープが張ってあるので助かる。10分ほどで一気に上ると長者山の山頂に着いた。あまり展望はよくないが、第60回で勝手に「瀬野八アルプス」(https://hread.home-tv.co.jp/post-313220/)と名付けた山々の一つ、曾場ヶ城山(606.8メートル)や志和方面を見ることができた。

 

長者山への急登

 

長者山の山頂

 


長者伝説と古代山城の発見


続いてルート最高峰の麻美山(612.2メートル)に向かう。別名狩小川(由来不明)ともいうのだそうだ。地元では麻美山と南西側の立石山(500.4メートル)も含めて長者山と呼びならわしているそうだ。

長者山から麻美山までは約50分の道のり。比較的歩きやすい尾根道だ。麻美山の山頂は樹木に囲まれて展望はない。写真だけ撮って先へ進む。さらに10分ほど歩くと、明らかに人為的に切り開かれた小広場に出た。長者屋敷跡だ。

 

麻美山(狩小川)のピーク。眺望はなし

 

地元の伝説によると、その昔、志和に住んでいた長者が地元を追われてここに屋敷を建てて移り住んだ。その後この地も追われ、中野の長者原に移ってようやく落ち着いたのだという。

 

長者屋敷跡。ここは中世の山城の遺構といわれている

 

長者屋敷跡から急斜面を標高差120メートルほど下った鞍部に「長者門(跡)」と呼ばれる2組の石組みの遺構がある。コの字型に並んだ右向きの石組みと左向きの石組みが対になっており、中央は道状に開いている。地元では古くから知られていた遺構だが、役割などはよくわかっていなかった。

古代山城研究会がまとめた「長者山城跡 新発見の安芸の古代山城調査報告」によると、2018年7月の西日本豪雨災害の後、東広島市教委の職員が赤色立体地図という特殊な地図で調べたところ、長者屋敷跡のある標高605メートルの無名峰を中心に、稜線に沿って外周2.4キロに及ぶ大規模な地形改変の跡を見つけた。その後の古代山城研究会の調査で土塁も見つかり、古代山城である可能性が高いことが確認されたという。長者門は古代山城の城門だったと見られている。

 

加工された石積みで構成される長者門の遺構。古代山城・長者山城の門だったとみられる

 

長者門。登山道の通る左手上方は土塁の遺構とみられている

 

巨岩が重なっていた

 

土石流の跡

 

長者伝説は、長者門の大規模な石組みの遺構や地形改変の跡を見た近世(江戸時代?)の人たちが、その由来を説明するために作り上げた物語なのかもしれない。

ちなみに長者屋敷跡は中世に築かれた山城の遺構とみられており、古代山城とは関係がないようだ。

 


榎ノ山峠へ


時刻は11時半。長者門でささっと昼食を終え、次に向かう。登山道は途中まで土塁と重なっており、一旦標高516メートルの小ピークに上った後で下りの道になる。とにかく今回のルートは上り下りが激しい。標高450メートル付近で古代山城跡と別れ、広島市安芸区と東広島市の境界となっている榎ノ山峠に向かう。峠の標高は約300メートルなので200メートル以上も下ることになり結構足にこたえる。榎ノ山峠到着は12時15分。目の前に標高差200メートル、次の目的地の東中倉山(514メートル)が立ちはだかっていた。(後編に続く)

 

広島市安芸区と東広島市の境となる榎ノ山峠

 

《メモ》赤色立体地図 航空測量会社のアジア航測が開発した、航空機からのレーザー測量で得た数値地形データを「赤色の彩度と明度」で表現した地図。等高線という「線」で地形を表現した地図と異なり、地形状況を直感的にわかりやすく示すことができる。詳しくはアジア航測の赤色立体地図ホームページ(https://www.rrim.jp/)へ。国土地理院のHP(https://www.gsi.go.jp/)から地理院地図に入れば全国の赤色立体地図を利用できる。

 

2024.5.19(日)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

 

ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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