桃太郎の鬼の棲みか!?『鬼ノ城』の謎に迫るトレッキング!/岡山県総社市
岡山県総社市『鬼ノ城』は古代の城跡!?
岡山といえば桃太郎。桃太郎といえば……鬼! 岡山県には、“鬼”の名を持つ謎の城跡があるんです。それが、岡山県総社市の鬼城山にある古代(7世紀)の城跡『鬼ノ城(きのじょう)』。
国の史跡に指定され、『日本100名城』の一つにも数えられる鬼ノ城ですが、実は史書に具体的な記載がなく、未だに謎が多い城。今回は、そんな鬼ノ城の謎を追うミステリー・トレッキングに挑戦!
鬼ノ城はどこにある? 車でアクセスも楽々
鬼ノ城があるのは、吉備高原の南端に位置する標高397mの鬼城山(きのじょうざん)。山頂一帯が堅固な城壁と門で守られていました。その一部は復元されていて、山麓からでもハッキリと視認できます。
鬼ノ城へのアクセスですが、鬼城山の南麓にある『砂川公園』から車道が整備されているため、ドライブ感覚で近くまで行けます。(※砂川公園から鬼城山ビジターセンターの駐車場までの約3kmは、道幅が狭いので注意してください)
山頂近くにある駐車場から5分ほど歩くと『西門』付近が展望できる『学習広場』に到着。門の両側にそびえる城壁の高さは約6mもあり、壮観です!
鬼ノ城のシンボル『西門』とご対面
遊歩道をしばらく歩くと、西門の正面に到着! 間近で見上げると迫力満点ですね~。さっそく門をくぐってみましょう。
門の中から見下ろす下界の景色。約1300年前の人々も同じ景色を見ていたと思うと、歴史のロマンを感じます。
門を通って反対側に出ました。残念ながら、門の二階部分に上がることはできませんが、もし城が攻められた場合は、兵士が上から弓矢などで応戦するのでしょう。
西門の斜め後方には『角楼』という防御施設もあるのですが、そこから眺める西門はまさに絶景!城を防衛するという観点でも、ここから西門の状況を一目で把握できることが重要でした。
鬼ノ城を訪れた人の90%近くは、この西門周辺を見ただけで帰ってしまうといいます。しかし、鬼城山の楽しみの一つはトレッキング! 山頂一帯には城壁が約2.8kmにわたって鉢巻状に取り囲んでおり、歩いて一周できるウォーキングコースも整備されていて、古代の謎を追うミステリー・トレッキングができるんです。
鬼ノ城の城壁に沿って続くウォーキングコース
西門の奥には『敷石』と呼ばれる石畳の道が続いています。これらは城壁に沿って敷き詰められており、当初は通路だと思われていましたが、城壁が流水によって壊されることを防ぐ機能も果たしていたと考えられています。
高い石垣は何百mにもわたって続いており、古代の山城が壮大な規模を誇っていたことがうかがえます。
城壁に沿って歩いていくと、いくつか『水門』の跡も見られます。山城を維持するには排水施設が重要となりますが、古代に造られた遺構が現役で機能しているのは驚きです。
西門と同規模だった『南門』に到着
西門から600mほど進むと『南門』があります。建物は復元されていませんが、西門と同様の規模であったことが発掘調査から判明しています。
城壁沿いの道をさらに東へ進んでいくと展望が開け、コースの先にある『東門』と『屏風折れの石垣』が見えます。
写真ではかなり距離がありそうに見えますが、ウォーキングコースは歩きやすく、多少のアップダウンはあるものの、予想以上に早く移動できますよ。
『東門』『屏風折れの石垣』から望む絶景!
南門から500mほど進むと『東門』に到着!眼下に広がる総社平野(吉備平野)を見渡す事ができます。鬼ノ城は下界の様子を監視する役割も担っていたのかもしれませんね。
東門からさらに300mほど進むと絶壁のように積み上げられた『屏風折れの石垣』が見えてきます。恐る恐る、石垣の上に立つと…
『屏風折れの石垣』から見下ろす絶景!条件が良いと遠く瀬戸内海や四国の山々まで見えるそうです。
『屏風折れの石垣』は天然の出丸(でまる)のような役割を果たしていたようです。出丸とは、本城から張り出して設けられた曲輪(くるわ)のことで、攻め込んできた敵兵を誘い込んで防いだり、逆に自軍の兵を待機させて進攻してきた敵に反撃するための施設でした。
桃太郎伝説の元になったエピソードとは?
『屏風折れの石垣』の奥には『温羅舊跡(うらきゅうせき)』の碑が立っています。舊跡とは旧跡のこと。
温羅は朝鮮半島から吉備地方に住みついた渡来人の一族で、鉄器の製造技術を日本にもたらしたといわれています。その技術によって強大な力を持った吉備地方の温羅氏と大和朝廷が対立し、朝廷から派遣された吉備津彦命(きびつひこのみこと)が、鬼と呼ばれた温羅を討伐(退治)したという伝承が残っています。
それが『桃太郎伝説』の元になったエピソードで、鬼ノ城はしばしば“桃太郎伝説ゆかりの地”としても紹介されます。鬼ノ城では戦闘の痕跡は見つかっていないようですが、“桃太郎のモデル”といわれる吉備津彦命がかつて攻め込んできたのかもしれません。
排水溝が備えられたレアな遺跡『北門』
先ほどの石碑から600mほど進むと、『北門』に到着。通路の床面に排水溝が設けられていて、日本の古代山城では初の発見例となった珍しい遺構だそうです。
門の北方には吉備高原の別の山脈が走っています。
くるっと一周! 鬼城山ビジターセンターへ
さらに400mほど歩くと鬼城山の山頂に到着! といっても、実は山頂は西門のすぐ背後にあり、これでコースを一周してきたことになります。なお、途中で内側の山道に入ると、倉庫群や管理棟の跡地も見られるのでぜひ立ち寄ってみてください。
駐車場の前には『鬼城山ビジターセンター』があり、鬼城山の地形模型や遺跡が出土した時の様子、西門などの復元過程を紹介したパネルなどが展示されています。
鬼城山の8~9合目あたりに、鉢巻状に城壁を巡らせた古代山城の様子がジオラマで再現されています。先ほど歩いたウォーキングコースに沿って、長大な城壁が延々と続いていたことが分かりますね。
また、西門以外の復元されていない門の模型も展示されています。それにしても、重機もない時代に巨大な城壁や木造の建物を標高350~400mの山上に築いた技術は驚きですね!
瀬戸内エリアにある古代山城を巡ろう!
7世紀後半に朝鮮半島の百済に援軍を送っていた日本は、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗しました。その後、唐・新羅の日本侵攻を恐れた朝廷は、北九州から瀬戸内沿岸にかけて、国土防衛のための城砦群を築きました。
未だ謎が多い鬼ノ城も、それらの古代山城の一つだとされます。なお、瀬戸内エリアには同時期に築かれた古代山城がいくつか残っています。鬼ノ城と合わせて、古代ミステリー巡りの旅はいかがでしょうか?
鬼ノ城
住所/岡山県総社市奥坂
電話/0866-99-8566(鬼城山ビジターセンター)
営業時間/8:30~17:00(鬼城山ビジターセンター)
定休日/年中無休(鬼城山ビジターセンターは月曜日と12月29日~1月3日休館)
駐車場/あり(無料)
http://www.city.soja.okayama.jp/kanko_project/kanko/kannkou_bunnka/kankouti/kinojyo/kinojo.html
瀬戸内Finderフォトライター 松岡広宣
▼記事提供元
「瀬戸内Finder(ファインダー)」は、瀬戸内を共有する7県(兵庫県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県)の魅力を世界に発信しています。