バスと電車と足で行くひろしま山日記 遠征編 稲荷山(京都市)
暦(こよみ)のひとつに、中国から日本に移入された十干十二支(じっかんじゅうにし)、いわゆる干支(えと)がある。十干は甲、乙、丙、丁、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)で、十二支はおなじみの子、丑、寅、卯、辰、巳、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)。これを組み合わせて暦を表すのだが、近年は十干を省略して十二支だけをいうことが多い。今年はうさぎ年(卯)だが、暦法通りにいえば癸卯(みずのとのう)になるそうだ。ちなみに高校野球の聖地・阪神甲子園球場は「甲子(きのえね)」の年にあたる1924年に完成したことが名前の由来だし、広島市西区の庚午(こうご)は、干拓の始まった1870年(明治3)が庚午(かのえうま)だったことから名付けられた。
この組み合わせは日付や方角を表すのにも用いられる。毎年2月の最初に午(うま)がつく日は初午(はつうま)と呼ばれ、全国に3万社あるといわれる稲荷神社の総本社・伏見稲荷大社(京都市伏見区)の祭神が711年(和銅4)、稲荷山(233メートル)に鎮座した日とされている。全国の稲荷神社でお祭りが行われる初午の2月5日を前に、京都に出かけて伏見稲荷大社とその神蹟がある稲荷山(233メートル)を巡ってみた。
▼今回利用した交通機関
行き)JR奈良線(おとな片道150円)/京都(12:19)→(12:24)稲荷
帰り)京阪本線(おとな片道410円)/伏見稲荷(15:13)準急→(15:21)丹波橋(15:24)特急→(16:05)淀屋橋
*JR京都駅まで、京阪淀屋橋駅以降のルートは省略
電車を降りると…そこは参道
JR京都駅から奈良線に乗り換えて2駅、5分で稲荷駅に到着した。新型コロナの規制が緩んだおかげか、たくさんの観光客でごった返している。改札を出ると、すぐ目の前が参道の入り口だ。赤い大鳥居をくぐって本殿に向かう。二つ目の大鳥居をくぐると楼門。天正17年(1589年)に豊臣秀吉が造営したものだ。続いて国指定重要文化財でもある本殿へ進み、参拝。商売繁盛を祈る。
豊臣秀吉が造営した伏見稲荷大社の楼門国の重要文化財に指定されている本殿
もともと稲荷山の三つの峰などに祀られていた諸祭神を、室町幕府の六代将軍足利義教が1438年(永享10)に麓に移した。このため、山中の旧社地は神蹟と呼ばれている。この神蹟を訪ねるのが「お山めぐり」だ。
境内の案内図本殿脇の石段を上り、玉山稲荷社を右手に向かう。有名な千本鳥居への道だ。千本鳥居は二手に分かれていて、右側通行になっている。下から見ると右が上り、左が下りだ。鳥居のトンネルに入ると異界に誘われるような、幻想的な雰囲気に包まれる。崇敬者が祈りと感謝を込めて参道に鳥居を奉納する信仰は江戸時代に始まったとされ、鳥居には寄進した企業や個人の名前と建立年月日が刻まれている。神社のHPによると、鳥居の大きさは6種類あり、初穂料は21万円から。同じサイズでも奉納場所によって初穂料は変わるそうだ。
名所の千本鳥居
枕草子にも書かれたお山めぐり
千本鳥居を抜けると奥社奉拝所。稲荷山の三つの峰の遥拝所だ。この社の背後が山頂の方向になっている。ここから先は登山道らしくなってくるので、お山めぐりが難しい人はここで引き返そう。
平安時代の随筆「枕草子」には、筆者の清少納言が初午の日に思い立って稲荷山を参拝したときの様子が「うらやましきもの」の段に書かれている。
「中の御社」(二ノ峰の中社神蹟)まででさえどうしようもなく苦しくて、それでも我慢して登っていたところ、後から来た人が苦しそうな様子もなく追い越していく。うらやましいことだ。二月の初午の日の明け方に出て急いできたのに、道の半分くらいでもう「巳の刻」(午前10時ごろ)になってしまった。暑くさえなり、「お参りしない人も世の中にはいるのに、何で自分はわざわざお参りに来たのだろう」と涙が出てきてしばらく休んだ。(現代語訳)
まだ麓の社殿はなく、舗装もされていない山道を山上まで歩いて参拝するしかなかった時代だ。普段は天皇の中宮定子のサロンにいてあまり運動することもなかったと思われる清少納言にとって、どんなにしんどかったことだろう。
根が地表に出た根上がりの松。「値上がり」に通じるとして証券関係者に縁起がよいと人気
眼力社のポップなお狐さん
奥社奉拝所からも先の千本鳥居ほどの密度ではないが、鳥居のトンネルが続く。15分ほど上ると池のほとりの熊鷹社。三ツ辻(三差路)を経て15分ほどで四ツ辻に着いた。ここは上ってきた道と山頂へ右回りで向かう道、左回りで行く道、泉涌寺や東福寺に通じる道が交差している。京都市内を見渡すことができ、茶店もあって一息入れることができる。市街地の向こうに昨年登った全国の愛宕神社の総本社のある愛宕山(924メートル)も望めた。
池のほとりに立つ熊鷹社三ツ辻への上り
三ツ辻の先の茶屋。稲荷大社だけに名物はきつねうどんといなり寿し
にぎわう四ツ辻
四ツ辻から京都市街地と愛宕山を望む
さあ、山頂に向かおう。清少納言は二ノ峰の中社神蹟(当時は神蹟ではなく社殿があった)を経て一ノ峰の上社神蹟を目指したと思われるから、右回りのルートを選んだのだろう。悩んだが、先に最高峰の一ノ峰に向かうことにして左回りを選んだ。
四ツ辻にあったお山めぐりの案内図下り勾配の道を歩くこと数分で眼力社に。珍しい名前は目の病への霊験のほか、「眼力」、つまり先を見通す力にもご利益があるとのことで、証券の世界に生きる人たちも信仰しているそうだ。驚いたのは社殿の横に鎮座(?)する狐像。通常は狛犬のように後ろ脚をたたんで座っている姿勢が多いが、高いところから飛び込んでいるようなポップなポーズだ。口にはササの枝をくわえて(押し込まれて?)いる。年齢的に目の衰えが目立つようになってきたので丁寧にお参りさせてもらった。
眼力社。眼病平癒と物事を見抜く力(眼力)にご利益あり飛び込み(?)姿勢の眼力社のお狐さま
長い石段を上って山頂へ
御膳谷、薬力社、長者社神蹟(御劔社)を経て最後の長い石段へ。息を切らせながら上りきると視界が開けた。標高233メートルの稲荷山山頂だ。一ノ峰、上社神蹟と呼ばれ、この地に鎮まっていたのは大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)だ。鳥居の扁額には「末廣大神」とある。売店で大ぶりの和蝋燭を買い求めて供えた。社殿はなく、拝殿の奥には注連縄が巻かれた岩が立っているだけなのだが、何とも言えない厳かな雰囲気がある。この後に巡拝した二ノ峰の中社神蹟(青木大神)、三ノ峰の下社神蹟(白菊大神)にも同じことを感じた。神様はいまも山上に鎮まっているのかもしれない。
神蹟の一つの御膳谷薬力大神
山頂へ通じる石段
一ノ峰の上社神蹟
上社神蹟を後ろから見る
二ノ峰の中社神蹟
三ノ峰の下社神蹟。白菊大神の信仰の対象にもなっている
絶品の抹茶アイス
下山の途につく。少し疲れたので、四ツ辻から少し下ったところにある、明治時代から続いているという老舗の茶店「三徳亭」に入店。ポスターの抹茶アイスがとてもおいしそうだったので上るときに目をつけていたのだ。もなかタイプで甘すぎない。しっかり歩いたのでとてもおいしかった。標高は低いが、見どころいっぱい充実の稲荷山めぐり。総歩行距離は4.3キロだった。
茶店に張られていた抹茶アイスのポスター実物はこんな感じです
熊鷹社の下にテレビ朝日の開局55周年記念の鳥居があった
2023.2.4(土)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラム「バスと電車と足で行くひろしま山日記」