バスと電車と足で行くひろしま山日記 第37回阿武山(あぶさん)・権現山(ごんげんざん)(広島市安佐南区)

広島市街地から見た阿武山(中央の最高峰)と権現山(左) 広島市街地から見た阿武山(中央の最高峰)と権現山(左)

広島市の中心市街地から北を見ると、三角形の尖峰が印象的な山が目に入る。東南側を流れる太田川に面した斜面は、遠目に見ても急傾斜であることがわかる。この山が阿武山(あぶさん 標高585.9メートル)だ。2014年8月20日未明、広島市北部を襲った集中豪雨で多数の土石流が発生し、麓の八木・緑井地区に多くの犠牲者を出した。悲劇を繰り返さぬよう、崩壊地には大規模な防災工事が実施され、いまも復興事業が続いている。大災害から8年がたったこの夏、峰続きの権現山(ごんげんざん 396.8メートル)と阿武山を歩き、両山にまつわる歴史と伝説、災害の記憶をたどった。

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ

行き)広島交通バス毘沙門台・サンハイツ線(おとな片道330円) 横川駅前(7:28)→毘沙門台三丁目(8:00)

帰り)JR可部線(おとな片道210円) 梅林(12:17)→横川(12:39)

 


毘沙門堂からスタート


権現山は南麓にある毘沙門堂がメインの登山口になる。広島交通の毘沙門天バス停が最寄りだが、便数が少ないので約700メートル離れた毘沙門台三丁目のバス停で下車し、団地内を歩く。10分ほどで参道の入り口だ。朱色の山門には、ユーモラスな表情をした赤い肌の二体の金剛力士像が立っている。頭を下げて山門をくぐり、石段の参道を上る。約10分で毘沙門堂に着いた。
毘沙門堂は13世紀に安芸国の守護に任じられた武田氏が現在の武田山(410.5メートル)に銀山城を築いた際、北方の守護のため建立した願成寺が始まり。毛利氏の治世になり、願成寺は広島城下に移され、毘沙門堂などが残されたそうだ。巨大な岩壁の前に立つ立派な堂宇は、いまも多くの人の信仰に支えられていることを感じさせる。本堂で登山の無事を祈った後、多宝塔へ向かう。

毘沙門天バス停付近から見た権現山。中腹に朱色の多宝塔が見える 毘沙門天バス停付近から見た権現山。中腹に朱色の多宝塔が見える
毘沙門堂の山門

毘沙門堂の山門

山門の金剛力士像(阿形) 山門の金剛力士像(阿形) 金剛力士像(吽形) 金剛力士像(吽形) 毘沙門堂への参道 毘沙門堂への参道 権現山の岩壁を背にした毘沙門堂の本堂 権現山の岩壁を背にした毘沙門堂の本堂

数分で見晴らしの良い岩に出た。「里見岩」というのだそうだ。その名の通り、麓の団地から広島市街地、広島湾の島々まで見渡せる。毘沙門天が守った銀山城跡も右手に見える。しばし休憩。熱中症にならないよう水分をしっかり補給する。今回はスポーツドリンクやウーロン茶など2リットル分を持参した。天気予報は快晴だったが、空は広く薄い雲に覆われていた。8月末とはいえ暑さはまだまだ厳しいので助かる。

里見岩から南方を望む。正面の山が武田山 里見岩から南方を望む。正面の山が武田山

チップ舗装の登山道


里見岩のすぐ上、三層の赤い多宝塔の右側を抜けると本格的な登山道になる。この登山道、木質のチップを樹脂で固めた舗装材が敷かれている。登山道の舗装といえば大体がコンクリートか自然石で、このような柔らかい素材で舗装されているのはあまり見たことがない。傷んではがれているところもあるが、しっかりグリップしてくれるし、クッション性も良く足に優しい。傾斜は結構きついのだが、歩きやすいので快調に高さを稼ぐことができる。標高380メートル付近がもう一つの展望ポイント。ベンチもあり、ご夫婦が景色を楽しんでおられた。

木質チップで舗装された登山道 木質チップで舗装された登山道 標高380メートルの展望ポイント 標高380メートルの展望ポイント

権現山の山頂に到着したのは午前9時過ぎ。ここにはNHKと民放4局の中継施設が立っている。安佐南区など約13万3千世帯に電波を届ける重要施設だ。メンテナンスのために車道が通じている。阿武山に向かう縦走路の入り口は、車道を300メートルほど下ったところにある。途中に間違いやすい入り口もあるが、4本の車止めの杭と「車両進入禁止」「権現山 阿武山 太田川ハイキングコース」の看板が目印だ。「クマに注意」の看板も。最近は市街地の近くでも油断できないので熊鈴は不可欠だ。

権現山山頂の民放4局のテレビ中継局。舗装路を下って縦走路へ向かう 権現山山頂の民放4局のテレビ中継局。舗装路を下って縦走路へ向かう 縦走路の入り口 縦走路の入り口 クマに注意! クマに注意! 縦走路から阿武山を望む 縦走路から阿武山を望む

縦走路で出会ったのは…


遠景の写真を見てもわかるのだが、ここから約1キロは傾斜も緩やかで本当に歩きやすい道だ。木陰に覆われて涼しいうえ、路面もチップ舗装が残っているところが多い。林間から目指す阿武山の頂上が見える場所もある。15分ほどで鞍部の鳥越峠。道は上りに変わり、20分ほど歩いただろうか。直線になった登山道の50メートルほど先に何やら動くものが。野生のシカだ。1頭だったが、よく見ると、左上の斜面を見つめている。数秒後、少し小ぶりなシカが飛び出してきた。道路脇の草を食べながら、仲良く歩き始める。2頭とも背中に白い斑点があり、まさに「鹿の子模様」だ。人間をあまり恐れないところを見ると、まだ幼いのかもしれない。あまり距離を詰めないようにして様子を見ていたが、シカのペースに合わせていては山頂にたどり着けないので足を速めて近付くと、山中に逃げて行った。そういえば、熊鈴はつけていたのだが、シカにはあまり効き目がなかったのだろうか。(動画もご覧ください)

登山道で出会ったシカ 登山道で出会ったシカ かなり接近 かなり接近


阿武山の大蛇伝説


阿武山登頂は午前10時10分。毘沙門堂を出て約1時間40分だ。頂上は広場になっており、ベンチも整備されていてゆっくり休憩できる。東側は木が切り払われて視界が開けており、JR芸備線と三篠川沿いに広がる深川の町や高陽の団地、北に白木山(888.9メートル)、南に転じると牛田山江田島など広島湾の島々も望める。
広場から南に少し下がったところに小さな社がまつられている。この山の大蛇伝説にまつわる貴船神社だ。
毛利氏の活躍をつづった軍記物語「陰徳太平記」巻八に「香川勝雄大蛇ヲ斬ル事」という項がある。それによると、天文元年(1532)、芸州佐藤郡八木村の阿生山(阿武山)に大蛇が住み着いて村人を脅かしていた。八木城主香川光景は「我が領内でそのままにしておくことは我が武功の傷になる」として、一族や家中の者を集めて大蛇を退治するよう求めた。失敗を恐れて誰も名乗り出ない中で、郎党の香川勝(かち)雄が進み出て「このこと勝雄に仰せ付け下さい。(大蛇の)身と首を二つにしてごらんにいれましょう」と言った。勝雄は光景から授かった太刀で見事大蛇を退治したという。
斬られた首と胴、尾が落ちた場所はそれぞれ社が建てられ、水の神である龍神としてまつられたのだそうだ。古来蛇は水害の象徴だったという説もあり、戦国時代にこの地で起きた災害とその対策にあたった人々の努力が英雄譚に姿を変えて伝えられたのかもしれない。

阿武山の山頂広場 阿武山の山頂広場 山頂の貴船神社 山頂の貴船神社
北側を流れる太田川を見下ろす 北側を流れる太田川を見下ろす

被災の記憶と防災のかたち


下山は鳥越峠まで引き返して緑井方面へ下ることにした。大災害から8年を経た被災地のいまを記憶し、防災への意識を新たにしておきたかったからだ。この谷筋も土石流を起こした。下流の砂防堰堤工事の影響で通れなくなっていたが、最近再整備されたそうだ。
尾根からの下りは急傾斜のうえ、路面も荒れていて歩きにくい。往路の整備された登山(ハイキング)道とは大きな違いだ。浮石に気を付けながら慎重に下る。土石流が流れた跡と思われる、河床が大きくえぐられた川を渡る場所には階段が取り付けられていた。

鳥越峠からの荒れた下山路 鳥越峠からの荒れた下山路 河床を削られた沢を渡る階段 河床を削られた沢を渡る階段

20分ほどで巨大な砂防堰堤に着いた。「鳥越川1号砂防堰堤」。堤の長さは86メートル、高さは12.5メートルもあるそうだ。左右の谷にも堰堤が設けられており、万一上流で土石流が発生しても安全に食い止めることができそうだ。

鳥越川1号砂防堰堤。大量の土砂を受け止めてくれそうだ 鳥越川1号砂防堰堤。大量の土砂を受け止めてくれそうだ

住宅街に入って南東方向に歩く。途中から左に折れて坂を上り、最も大きな被害を出した八木三丁目の現場に向かう。当時のニュースの映像で何度も見た、県営緑ヶ丘住宅の一角に「広島市8・20豪雨災害慰霊碑」があった。被災前の住宅地の様子を再現したモザイク画が描かれた壁の前の石碑に、この地域で亡くなった25人の名前が刻まれている。その中には、当時広島ホームテレビで働いていた方とご家族の名前もある。背後には、土砂が砂防堰堤を越えても下流に流れ出ないようにためることができる土石流堆積工を備えた巨大な砂防施設が広がっている。二度とこのような悲劇が繰り返されることのないよう願い、犠牲になった方々の冥福を祈って手を合わせた。

最大規模の被害が出た八木三丁目の慰霊碑 最大規模の被害が出た八木三丁目の慰霊碑

その後、梅林駅近くの大國神社の本殿横にある、12人の犠牲者の名前が刻まれた鎮魂の碑に手を合わせ、最後に蛇王池の碑を訪ねた。香川勝雄に切り落とされた大蛇の首が隠れた池があったとされる場所だ。碑の背後には「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう、生きとし生けるものはすべて生まれながらにして仏となりうる素質がある)という涅槃経の言葉が刻まれていた。伝説の大蛇も仏となったのだろうか。そんなことを考えながら帰途についた。

巨大な土石流堆積機能を備えた砂防施設 巨大な土石流堆積機能を備えた砂防施設 八木地区から見た阿武山 八木地区から見た阿武山 大蛇伝説を伝える蛇王池の碑 大蛇伝説を伝える蛇王池の碑 ゴールのJR梅林駅 ゴールのJR梅林駅

 

2022.8.28(日)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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