バスと電車と足で行くひろしま山日記 第36回 旧津和野街道と羅漢山(廿日市市・山口県岩国市)

三倉岳から見た羅漢山。雄大な山容だ(2019年11月23日撮影) 三倉岳から見た羅漢山。雄大な山容だ(2019年11月23日撮影)

江戸時代の広島県内には、西国街道をはじめ、多くの脇街道や往還と呼ばれる道が張り巡らされ、各地を結んでいた。主な街道には、雨が降っても泥道にならないよう、路面に石畳が敷き詰められていたところがあった。近代になって国道や県道などに変わり、車道として拡幅されたり舗装されたりした道も多かったが、主要な交通路から外れてしまったため、昔の面影を残しているところもある。廿日市から津田、栗栖を経て島根県津和野につながる旧津和野街道は、津和野藩が参勤交代で江戸に上る際に廿日市の港に出るために利用した道だ。栗栖から石畳が残る山中の旧街道を歩き、羅漢山(標高1108.9メートル)に登頂、羅漢温泉に帰着するロングコースをたどってみた。

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ

行き)①JR山陽線(おとな片道240円) 横川(7:04)→宮内串戸(7:20)
②広電バス佐伯線(おとな片道400円) 宮内串戸駅(7:32)→さいき文化センター(8:05)
③吉和さくらバス(おとな片道150円=全線均一料金) さいき文化センター(8:25)→栗栖(8:32)
帰り)①吉和さくらバス 羅漢温泉(16:03)→さいき文化センター(16:17)
②広電バス佐伯線 さいき文化センター(16:32)→宮内串戸駅(17:07)
③JR山陽線 (おとな片道240円) 宮内串戸(17:10)→西広島(17:39)

地図_旧津和野街道・羅漢山

 


中国自然歩道・旧津和野街道へ


いつも利用させてもらっている吉和さくらバスに乗り、栗栖で下車、5分ほど歩いた国道186号脇が旧津和野街道の入り口だ。木製の標識と絵地図付きの案内看板が立てられているので迷うことはない。中国自然歩道の「極楽寺・羅漢山ルート」は、ここから山口県境の生山峠まで約7キロが旧津和野街道とほぼ重なっている。歩き始めて300メートルほどで右手に大きな石を納めた小さなお堂があった。観音堂だ。付近は観音原と呼ばれ、旅人の休息の場でもあったようだ。

国道186号沿いの旧津和野街道入口 国道186号沿いの旧津和野街道入口 大きな岩を納めた観音堂 大きな岩を納めた観音堂 旧津和野街道の説明。生山峠まで7キロ(!) 旧津和野街道の説明。生山峠まで7キロ(!) ツキノワグマへの注意を呼びかける標識 ツキノワグマへの注意を呼びかける標識 炭焼き窯跡。右手奥の石積みが窯跡と思われる 炭焼き窯跡。右手奥の石積みが窯跡と思われる

さらに100メートルほど進むと初めて路面に石畳が現れた。ここから石畳が多く残るエリアだ。江戸時代から残っていると思うと感慨深い。渓流沿いで湿気が多いうえ、歩く人がそれほど多くはないせいか、表面にこけがついた石畳も散見される。滑りやすくなっている個所もあり、「足元注意」の標識が取り付けられている。しっかり踏みしめながら歩く。
渓流にかけられた橋を二度ほど渡ると、次第に上りがきつくなってくる。歩き始めて45分、落差はさほどでもないが豊富な水が流れる観音滝に行き会った。滝つぼの近くに寄り、しばしマイナスイオン浴を楽しんだ。

脇街道の名残を伝える石畳 脇街道の名残を伝える石畳 渓流を二度横切る 渓流を二度横切る

キリシタン受難の道


観音滝から先は勾配がきつくなり、トレッキングポールに頼りながら歩を進めてもしんどさが増す。この道は、幕末から明治初期に起きた長崎・浦上地区のキリスト教信徒への弾圧事件「浦上四番崩れ」に関係する「受難の道」でもある。徳川幕府の浦上キリシタン弾圧を引き継いだ明治政府は、信徒全員を西日本諸藩に配流する「一村総流罪」を断行し、名古屋以西の20藩に3384人を配流した。このうち津和野藩には1869年以降、153人が預けられた。船で長崎から移送された信徒たちが、津和野に向かう時に歩かされたのが旧津和野街道だ。一通りの登山装備で歩いてもしんどいのに、どれだけつらく苦しかったことだろう。ちなみにこの弾圧事件は欧米諸国の強い反発を招き、不平等条約の改正交渉にも悪影響を及ぼすことが懸念されたことから明治政府は方針を転換。1873年にキリシタン禁制を解き、信徒たちも帰村することができた。

松ヶ峠への急登下にある休憩所 松ヶ峠への急登下にある休憩所

松ヶ峠から悪谷へ


標高700メートル付近まで上ると道は一転して平坦になった。汗まみれの体がぐっと楽になる。5分ほどで道幅の半分ほどを占める大きな岩が現れた。「かご立岩」というのだそうだ。参勤交代で江戸に向かう津和野藩の一行が、藩主を載せた駕籠(かご)をこの岩の上に下ろして休んだことが名前の由来だという。その100メートル先には「三国横(よこ)え」という説明板。安芸、周防、石見の山々が見渡せる場所だそうだが、樹木が伸びていてほとんど見通しはきかなかった。

平坦な道が現れてほっと一息 平坦な道が現れてほっと一息 かご立て岩。この岩の上に津和野の殿様が乗った駕籠を置いて休んだという かご立て岩。この岩の上に津和野の殿様が乗った駕籠を置いて休んだという 三国横え。残念ながら展望なし 三国横え。残念ながら展望なし

さらに150メートル先、下り始める直前が松ヶ峠だ。中国自然歩道の説明板には19世紀初頭に成立した地誌「佐伯郡廿ヶ村郷邑記(にじっかそんごうゆうき)」の記述が引用してある。

「悪谷津和野往還名の如く難所なり、夏分蜂多し」「夏は熊が出て涼み居る。人に驚くときは災(わざわい)をなす。依って山中を一人行くには歌うたうべし」

先日ザックを買い替えたときに熊鈴を付け替えるのを忘れた…。そういえば、ここに来るまでにも「くまに注意」の標識を何度か見かけた。誰に出会うでもないのだけれど、歌を歌いながら歩くのも恥ずかしいので足早に悪谷(ひどい名前だ)へ駆け下りた。標識によると栗栖からここまで4.8キロだ。

松ヶ峠の説明板。難所だったことがわかる 松ヶ峠の説明板。難所だったことがわかる

これから川沿いの道を遡るのだが、いったん下流に向かう。知られざる名瀑「比丘尼ヶ渕(びくにがふち)」を見るためだ。林道が川沿いに付けられているため、変化に富んだ流れを楽しめる。10分ほどで比丘尼ヶ渕に着いた。神秘的な緑色の渕に勢いよく滝が流れ込んでいる。ここには美しい比丘尼(尼僧)に化身した渕の主(魚?)と土地の若者をめぐるはかなく悲しい伝説が残っているのだそうだ。(制作・発行佐伯商工会「津和野街道」による)

緑の水面が神秘的な悪谷の比丘尼ヶ渕 緑の水面が神秘的な悪谷の比丘尼ヶ渕


廃村と荒れ道、過疎集落


石畳の古道歩きが目的なら、この先に石畳道はないのでこのまま1.5キロほど林道を下れば国道186号に出て悪谷のバス停へ。12時11分のさいき文化センター行きに間に合うだろう。
きびすを返して上流に向かう。松ヶ峠から下りてきた分岐を過ぎ、ヒノキの造林地を歩く。道標に「越ヶ原 1.5KM」の表示。20分ほどで、開けた平地の越ヶ原についた。国土地理院の地図には3軒の人家が表示されているが、廃村になって相当な時間がたっているのだろう。家の形は残っていない。かつては農地もあったのだろうが、山に返るのもそう遠くはなさそうだ。

越ヶ原。かつては人家があったが、山に返りつつある 越ヶ原。かつては人家があったが、山に返りつつある

中道の集落に下る道沿いにはお地蔵さんがいくつも置かれている。昭和の初めに地元の人たちが安置したのだという。通行する人たちの無事を祈ってのことだろう。石畳のない道は中央付近が雨水の水路となってえぐられている個所が多く歩きづらい。小さな峠を越えて中道の集落に出たが、人が住まなくなってかなり時間がたっている家が多いように見えた。

道の真ん中が水路になって削られている 道の真ん中が水路になって削られている
道中の安全を見守る石仏。八十八体あるという 道中の安全を見守る石仏。八十八体あるという

板押峠から羅漢山へ


板押峠からは車道と合流するので、ここで旧津和野街道から離れて羅漢山に向かうことにする。峠の標高は730メートルほどなので山頂との標高差は300メートル弱だ。少し疲れも出てきたが、ここまでほとんどが林間の道だったことに加え、曇り空だったおかげで体力の消耗は少なめだ。

中道から板押峠への道の入り口は夏草に覆われていた 中道から板押峠への道の入り口は夏草に覆われていた 羅漢山への登山道の分岐 羅漢山への登山道の分岐

別荘地の道路を通って標高840メートルの登山口に向かう。登山道に入るとすぐに山口県との県境になっている尾根に取り付く。10分もかからずに「狼城」と書かれた札のある赤茶色の巨岩が現れた。2010年発行の山と渓谷社「新・分県登山ガイド[改訂版]33 広島県の山」には「男岩」と表記されているが、長さ数十メートルはあろうかという巨岩の迫力ある姿は「狼城」の方がふさわしいように思う。

狼城(男岩)の赤茶けた奇岩。無数の節理が入っていた 狼城(男岩)の赤茶けた奇岩。無数の節理が入っていた

標高950メートルあたりから傾斜が急になり、1000メートルを超えると登山道は背丈ほどもあるササに覆われた。まさにササのジャングルだ。雨露がかなり残っていて、衣類が濡れるのも不快だが、ザックを下ろして雨具を出せるような状況でもない。トレッキングポールでササをかきわけながら登ること15分、突然視界が開け、目の前に羅漢山のランドマークでもある巨大な雨量計ドームが現れた。国交省の「レーダ雨量観測所」だ。半径300キロのエリアの降雨データを観測し、ダムや河川、道路の管理に必要な防災情報を提供しているのだそうだ。

背丈ほどもあるササのジャングルの急坂を上る 背丈ほどもあるササのジャングルの急坂を上る レーダ雨量観測所のドーム。遠くから見ても目立つ羅漢山のランドマークだ レーダ雨量観測所のドーム。遠くから見ても目立つ羅漢山のランドマークだ

 


花と蝶と峠と


羅漢山の三角点はドームから100メートルほど西に行ったところにある。山頂はベンチや展望台もある広場になっている。山頂は山口県岩国市のエリアなので、正確にいえば広島の山ではない。本来なら西中国山地の山々などが展望できるはずだが、残念ながらあまり視界はよくない。ただ、広場の一角に一輪だけカワラナデシコが咲き、大型の美しいチョウ、アサギマダラの姿を見ることができたのは収穫だった。

羅漢山の山頂広場 羅漢山の山頂広場 この岩は磁力を帯びているそうだ この岩は磁力を帯びているそうだ 山頂に咲くカワラナデシコ 山頂に咲くカワラナデシコ
アサギマダラに出会えた アサギマダラに出会えた 林間の下山路 林間の下山路

食事を終え、下山は生山峠に向かう。上りとは打って変わって整備された登山道なのだが、途中から木段になっており歩幅と合わないので結構疲れる。10分余りでNTTドコモの無線中継所に通じる舗装路に出て、後はひたすら車道を歩く。約30分で標高836メートルの生山峠に到着。旧津和野街道の最大の難所といわれた「羅漢越え」の生山峠は標高約960メートル付近だったそうなので、現在の生山峠は低すぎる。ここまで下ってくる途中のどこかで交差していたのだろうが、残念ながら見逃してしまった。


6.3キロのロードを歩いて羅漢温泉


生山峠を14時10分に出発し、ひたすら舗装路を歩く。目的地は国道186号沿いの「道の駅スパ羅漢」(https://sparakan.com/)。日帰り入浴ができる天然温泉の羅漢温泉が併設されており、汗を流して帰ろうという魂胆だ。距離は6.3キロ、約1時間10分の道のりだ。帰りのバスの発車時刻が16時3分なので、入浴時間を考えればできるだけ早く着きたいと思ったが、到着は「グーグル先生」の言う通り15時20分。やや慌ただしかったが、「単純放射能線・ラドン泉・低張性弱アルカリ性低温泉」(HPによる)を堪能して帰途についた。総歩行距離は19.8キロ、久々のロングトレイルだった。

道の駅スパ羅漢 道の駅スパ羅漢 よい温泉でした よい温泉でした

間もなく8月。これから暑さも一層厳しくなることが予想されます。低山の山歩きをするにはしんどい時期になってきました。あまり無理もできないので、本連載も少しお休みをいただこうと思います。もし、日本アルプスなど涼しい山に行く機会があれば「遠征編」として紹介したいと思います。よろしくお願いします。

 

2022.7.24(日)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

ライター えむ
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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