バスと電車と足で行くひろしま山日記 第72回荒谷山(広島市安佐南区・安佐北区)

今冬は異例の暖かさが続き、2月は全国で「観測史上最高気温」のニュースが相次いだ。3月最初の山行は冬型の気圧配置が復活して真冬並みの寒さになるという予報。今シーズンから始めた雪山行も第70回「氷雪の吉和冠山」(https://hread.home-tv.co.jp/post-345436/)で打ち止めにするつもりだったので、県北の山は対象外だ。近場で登りがいのある山は、ということで選んだのが荒谷山(標高630.9メートル)。アストラムラインの駅からは、団地内のロード歩きを含めると標高差600メートル近くある里山だ。当日朝目覚めると、小雪が舞っていた。目的地はJR横川駅から山頂まで直線距離で約10キロ。「雪は降ってもたいしたことはないだろう」と考えて向かったのだが…。

 

雪景色の荒谷山山頂

 

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ

行き)アストラムライン(おとな片道370円)/新白島(7:59)→(8:21)長楽寺
帰り)広電バスあさひが丘線(おとな片道490円)/あさひが丘展望台入口(12:08)→(12:54)横川駅前

 

 


420年以上前の寺社弾圧の記憶


アストラムライン新白島駅近くのマクドナルドで朝食を済ませ、広域公園前行きの電車に乗り込む。最寄りの長楽寺駅までは20分余りの乗車だ。期待に反し、北に向かうにつれてどんどん雲は厚くなり、雪も強くなってきた。長楽寺駅で下車すると、時折横殴りの雪も吹き付けていた。目指す荒谷山も中腹より上は雪雲の中だ。

まずは山と反対側の南口を出て長楽寺跡に向かう。地名・駅名に名を残す長楽寺は、弘法大師空海の示唆を受けて905年に覚円が開いた真言宗の寺院だった。正式名を福寿山不動院長楽寺といい、戦国時代には安芸武田氏や毛利氏の保護を受けて隆盛を極めた大寺院だったという。

関ケ原合戦後に毛利氏に代わって広島城に入った福島正則(1561-1624)は領国の検地を実施し、寺社の領地をすべて取り上げ、改めて領地を配分したり、一定の扶持米を与えたりした。毛利時代に芸備両国で1万石を超えていた寺社領は、検地後は4分の1に削減された。長楽寺は200石の寺領をすべて取り上げられ、廃寺となった。それでも観音堂や奥の院だった不動院が再建され、長楽寺を信仰していた地元の人々によって守り伝えられてきた。

駅を出て数分の場所に「真言宗 長楽寺跡」の石碑が立っている。公園を抜けると観音堂の境内。長楽寺の本尊だった聖観音像が安置されているそうだ。扉が開かれるのは33年に1回で、前回は2002年に開かれたので、次の御開帳はかなり先の話だ。登山の安全を祈る。観音堂の隣には、長楽寺最後の住職が観音堂とともに建立したという鎮守社がひっそりと立っていた。420年前の法難と、仏像を守った人々にしばし思いを馳せた。

 

公園の入り口に立つ長楽寺跡の石碑

 

長楽寺観音堂(左)と鎮守社

 

観音堂の縁起を記した説明板

 

雪の中を登山口に向かう

 


ボランティアが支える里山


天候の回復を期待したが、時々晴れ間が出るものの小雪は止まない。団地内の道路を20分ほど歩いて登山口に到着。トレッキングポールを伸ばして登山を開始した。

 

荒谷山登山口。この時は晴れ間も出ていた

 

序盤は木段が続く。路面に雪はないが、周囲の木々には湿雪がかぶさっている。上り始めて約30分、標高320メートル付近の登山道脇に「破暗」と刻まれた石灯籠があった。そういえば、長楽寺跡にも同じ文字が刻まれた石灯籠が立てられていた。「破暗」は辞書にも載っていない。灯りをもって闇を破る、というような意が込められているのだろうか。

 

木段の登山道

 

「破暗」の文字が刻まれた石灯籠

 

さらに3分ほど歩くと鐘撞堂。釣鐘の銘を見ると、太平洋戦争中の1943年に兵器の材料にするため供出され、戦後1974年に信徒が費用を出し合って再鋳造したとある。

 

鐘撞堂

 

さらに5分ほど上ると不動院に出た。ここはかつて長楽寺の奥の院だったそうだ。標高は360メートルほど。東側の眺望が開け、眼下には上安、高取、長楽寺の街並みが広がり、その向こうには第21回「広島南アルプス㊤」(https://hread.home-tv.co.jp/post-143882/)で紹介した武田山、火山がそびえている。

 

荒谷山の中腹に立つ不動院

 

ここでのこぎりを手にした地元の男性に出会った。しばし世間話をする。聞くと、参拝者や登山者の眺望を確保するために、伸びた枝を切りに来ているのだという。里山はボランティアに支えられている。

 


想定外の雪中登山


しばし休憩して登山を再開する。目指す山頂方向は相変わらずしっかり雪雲に覆われていた。この先は急登の連続だ。地面にも雪がたまっている場所が増えてきた。500メートル付近まで上ると周囲は雪山の光景だ。滑らないよう慎重に歩を進めていく。荒谷山南峰(571メートル)付近まで来るともはや雪中登山だ。登山道にもびっしり雪が積もっている。そのつもりはなかったので、第70回「氷雪の吉和冠山」(https://hread.home-tv.co.jp/post-345436/)でお世話になった軽アイゼンは持ってきていなかった。後悔先に立たず。スリップしないよう注意しながら歩く。

 

不動院から上は急登が続く

 

好天なら眺望が楽しめるという岩の上から見る

 

南峰からゆるやかな尾根道を歩くこと20分、荒谷山の山頂に到着した。時刻は午前10時40分。雪は降り続いているし、眺望もまったくきかない。べたべたの雪の上に腰を下ろす気にもなれない。長居をしても楽しめそうにないので、菓子パンを1個食べて下山することにした。

 

荒谷山南峰

 

南峰から本峰への雪道

 

荒谷山山頂に到着した

 

この木々の間から景色が見えるはずだった

 


本来は快適な下山路だが…


下りはあさひが丘団地へ下るルートを選択した。地形図を見ても傾斜は緩やかで歩きやすそうな道だ。だが、緩やかということは雪もたまるということ。雪に覆われた道は、路面の様子がわからないので難儀だ。うっかり浮石や凍りついた岩を踏むと転倒は免れない。そろりそろりと時間をかけて歩く。それでも二度ほど足をとられて転倒しかけた。

 

しっかり雪が積もった下山道。傾斜は緩やかなのだが…

 

重い湿雪に覆われた樹木

 

途中、強い横風が吹き、樹木についた雪が飛ばされてきて痛いほど顔を打たれたこともあった。

 

強風で雪が吹き付ける

<動画もご覧ください>

 

350メートル付近まで下るとようやく道の雪は消えたが、両側から道を覆うシダはたっぷり雪融けの水を含んでいる。靴の上を覆う登山用スパッツ(ゲイター)も持ってきていなかったので、足首付近から水が浸入してきて不快このうえない。通常なら45分のコースタイムの下山路だが、1時間近くかけて登山口にたどりついた。

 

あさひが丘団地側の登山口。雪はなかった

 

総歩行距離は5.5キロと短かったのだが、予想以上に疲れた。装備を整えていれば疲労度は大幅に軽減されたことだろう。低山でも装備は万全にしなければならないことを改めて学んだ山行だった。

 

2024.3.2(土)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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