バスと電車と足で行くひろしま山日記 第56回船通山(島根県奥出雲町・鳥取県日南町)

山日記

 

中国山地の脊梁部、島根県と鳥取県の県境にある船通山(1142.3メートル)は、日本神話で最も有名なエピソードの一つ、八岐大蛇(やまたのおろち)退治伝説の舞台だ。山頂には可憐な赤紫色の花を咲かせるカタクリの群生地があり、この季節、多くの登山者を引き付ける。場所柄公共交通機関で行くのは無理。そこで昨年6月に広島ホームテレビの環境キャンペーン「地球派宣言」で森の貴婦人・オオヤマレンゲを取り上げるため恐羅漢山・旧羅漢山へ案内した映像制作プロダクション「ホームテレビ映像」のスタッフに声をかけたところ、ぜひ撮影に行きたいというので連れて行ってもらうことにした。もはや「バスと電車」でもなく「広島の山」でもないのだが、広島県境から10キロほどしか離れていないので本編に入れさせてもらうことにした(だんだん基準が怪しくなってきた)。

 

▼今回のルート(※車を利用)

【行き】
広島高速4号線中広出入口→同沼田出入口→広島自動車道・西風新都IC→中国自動車道・庄原IC→国道183号・多里→県道15号(横田多里線)・上萩山→広域基幹林道船通山線・上萩山登山口

【帰り】上萩山登山口・広域基幹林道船通山線→県道15号(横田・多里線)・奥出雲町→国道314号・国道183号(おろちループ)→中国自動車道・庄原IC→広島自動車道・西風新都IC→広島高速4号線沼田出入口→同中広出入口

 

山日記

 


駐車場確保のため早朝出発


船通山は島根県側と鳥取県側の両方から登山道が通じている。広島市から行く場合は鳥取県日南町の上萩山登山口が近い。とはいっても一般道と高速道路を乗り継いで約150キロ、2時間半近くかかる。登山口の駐車場が狭いことはわかっていたので駐車場所を確実に確保するため午前5時40分に出発した。

天気は上々だが、黄砂の影響が残っているのか見通しはあまりきかない。愛用している天気情報サイト「てんきとくらす」(https://tenkura.n-kishou.co.jp/tk/index.html)の登山指数はなんと「C」(風または雨が強く、登山に適していません)。雨は降りそうにないので風が強いんだろうなあ。登山口には予定より少し早い午前7時50分に到着。既に3台の先客があり、支度をしているうちにもう1台がやってきた。この分だとすぐに満車になりそうだ。早出で正解だ。

 

山日記 上萩山登山口の駐車場

 

山日記 登山口の案内板

 


前回の教訓生かし「一般コース」へ


登山口の標高は約700メートル。山頂までの標高差は440メートルほどだ。地図で見る等高線の間隔は狭く、かなりの急登が予想される。最初は沢沿いのコンクリート舗装された直登の道。地味にきつい。10分ほどで飯盒炊爨(はんごうすいさん)の設備がある林間広場に到着。ここからルートは、短いけどきつそうな「健脚コース」と少し所要時間の長い「一般コース」に分かれる。スタッフに聞くと、恐羅漢山で「傾斜が急だけど距離が短いルート」を選択してしんどい目に遭った記憶がよみがえったのか、迷わず一般ルートを選択した。撮影用にレンズ込みで8キロもあるカメラとプロ仕様の三脚(7キロ)を担ぎ上げなければならないので妥当な選択だ。

 

山日記 渓流沿いの舗装路を上る。意外にきつい

 

山日記 キャンプ飯も作ることができる林間広場

 

山日記 一般コースと健脚コースの分かれ道

 

一般コースとはいってもなかなかの急登が続く。道沿いにはミヤマカタバミの白い花(上りの時はつぼみだったが、下山時にはきれいに開花していた)やイカリソウ、スミレが咲いている。ほぼ全ルートに木段が整備されているので安全に歩けるのだが、歩幅が合わない(木段あるある)ので結構きつい。息を切らしながら上ること約40分、標高が1000メートルを超えると登山道のわきにもぽつぽつカタクリが現れる。

 

山日記 般コースの上り口のミヤマカタバミ(撮影は下山時)

 

山日記 イカリソウ

 

山日記 カタクリのつぼみ。標高1000メートル付近からは登山道沿いにもカタクリが姿を見せる

 

9合目付近には国指定天然記念物の「船通山のイチイ」が枝を広げていた。積雪と強風にさらされるためか、地を這うように広がる枝葉は約22メートルにもなるといい(説明板による)、なかなかの壮観だ。イチイの周囲もカタクリの群落になっており、期待が高まる。

 

山日記 9合目付近で地を這うように枝葉を広げる国指定天然記念物「船通山のイチイ」

 


山上に広がるカタクリの花畑


最後の木段を上り終えると、眼前にカタクリの花畑が広がっていた。山頂は「天狗の土俵場」といわれる天然芝の広場になっており、そのかなりの部分がカタクリに覆われ、鮮やかな赤紫色の花に彩られている。透明度は今一つだが周囲の眺望もすばらしく、疲れが吹き飛んだ。ただ、風が相当強いうえ、まだ時間が早く(午前9時前)気温も上がっていないせいか、ほとんどの花が開ききっていない。暖かくなるまで待つしかない。

 

山日記 山上を彩るカタクリの大群落。時間が早く、まだ開いている花は少ない

 

待っている間にも島根県側、鳥取県側の両方から次々登山者がやって来る。あちこちで「きれい」「来たかいがあった」と歓声があがる。ほとんどがカタクリ目当てで、スマホのカメラだけでなく、望遠レンズを装備した本格的な一眼レフを構える人も結構いる。

 

カタクリはユリ科の多年草。下向きにつけた花には6枚の花弁があり、基部近くには濃紫色で「W」の形の斑紋があり、反り返る。その名の通り、かつては地下茎から良質のデンプン、片栗粉を採取していた。江戸時代には大和(奈良県)の宇陀産が有名で,幕府へも献上されていたという。現在スーパーで売られている片栗粉はジャガイモのデンプンで、名前だけが残っているのだそうだ。

 

山日記 山頂から三瓶山方面を見る。手前は避難小屋

 

山日記 きれいな避難小屋の内部。トイレも完備

 


八岐大蛇伝説とたたら製鉄


山上の広場には「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)出顕之地」と刻まれた剣の形をした石碑が立っている。天叢雲剣は天皇家の三種の神器の一つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の別名だ。

 

山日記 山頂に立つ天叢雲剣出顕之地碑。1923年に建立されたが75年に落雷で破壊され、76年に再建されたとある

 

古事記によると、こうだ。高天原(たかまがはら)を追放された須佐之男命(すさのおのみこと)は、出雲の国の肥の河(ひのかわ=現在の斐伊川)のほとりの鳥髪という地に降りた。川に箸が流れてくるのを見て上流に向かったところ、出雲の国つ神の子であるという老人(足名椎=あなづち)と老女(手名椎=てなづち)が娘(櫛名田比売=くしなだひめ)をはさんで泣いていた。須佐之男命が理由を尋ねると「私には八人の娘がいたが、毎年八岐大蛇が来て娘を食っていく。今が(最後の1人を食われる)その時なので泣いている」と答えた。八岐大蛇の目はホオズキのように赤く、一つの胴体に八つの頭と八つの尾があり、長さは八つの谷と八つの峰を越える。体にはコケやヒノキや杉が生え、腹は肉が傷つき血を滴らせているという。須佐之男命は櫛名田比売を妻に迎えることを条件に八岐大蛇を退治することを約束。八塩折(やしほをり)の酒を用意させ、酒を飲んで寝入った八岐大蛇を切り刻んで殺した。尾を切った時に剣の刃がかけたため、切り開いたところ大刀(天叢雲剣=草薙剣)が出てきた。須佐之男命はこの大刀を天照大神に献上した――というストーリーだ。

 

山日記 須佐之男命をまつる祠

 

神話に出てくる「鳥髪」が船通山で、島根県側の中腹にある「鳥上滝」が八岐大蛇の住処だったといわれている。船通山はたたら製鉄が盛んだった地で、八岐大蛇の体内から天叢雲剣が見出された話と符合する。研究者によっては、八岐大蛇の目をたたら製鉄の炎、血を融けた鉄が流れ出るさまになぞらえたり、山間部で支流を集め、平野部で分流して洪水などの災害をもたらす斐伊川を象徴していると解釈したりと、さまざまな説がある。いずれにしても鉄器文化を背景にしたヤマト王権による出雲地域の征服を象徴した物語なのだろう。

 


山頂は人でいっぱいに


時間もあるので、たたら製鉄の遺構を見てみようと、撮影スタッフを残して島根県側に下ってみた。頂上から100メートルほど下りると、右に亀石コース、直進すると鳥上滝コースの分岐に。このあたりも登山道の周辺はカタクリの花でいっぱいだ。

 

山日記 カタクリ群落の中に立つ島根県側の登山道の道標

 

亀石コースを標高1000メートル付近まで下ると山肌をほぼ水平に横切る道になる。横手道と呼ばれており、たたら製鉄の原料となる砂鉄を採取するために砕いた土砂を水で流す「鉄穴(かんな)流し」の水路跡を登山道に転用したものだ。約700メートルも続く水平道は快適なことこのうえない。下りに転じる地点まで行って引き返した。

 

山日記 鉄穴流しの水路跡を利用した水平の登山道

 

山日記 カタクリに囲まれた島根県側の登山道

 

山頂に戻ってみると、カタクリ見物の登山者で大にぎわいだ。そういえば製鉄遺構を見に行っていた間にもたくさんの登山者と出会った。ちょうどお昼時にかかっていたこともあり、カタクリの群生地と芝生広場を隔てるロープの前はお弁当を広げる人たちでいっぱいだ。

 

山日記 カタクリ見物の登山者でにぎわう船通山山頂

 

風は変わらず強いが、陽光があるのでそれほど寒くはない。カタクリの花も次々開き、特徴的な花弁の反り返りも観察できる。ホームテレビ映像のスタッフたちも十分な撮れ高(とれだか=撮影した映像の中で、構図が良くて使えるものがどのくらい撮れたかという割合=放送業界用語)を確保できたようだ。

 

山頂のカタクリを撮影するホームテレビ映像のスタッフ

 

山日記 昼近くになり花開いたカタクリ

 

山日記 イチイの近くで見た可憐なカタクリたち

 

山日記 日南町側から船通山(右)を遠望する

 


下山後のお楽しみは


せっかくここまで来たのだから、下山後は奥出雲の名物のそばを食べて帰ろう。目指すは第42回吾妻山・比婆山連峰でも立ち寄ったJR木次線の八川駅前にある「八川そば」。打ち立て、湯がきたて、そば湯と出汁を合わせたつゆそばは絶品だ。食べている間に観光トロッコ列車「奥出雲おろち号」の到着時間になった。今年度限りで廃止が決まっていることもあり、ホームテレビ映像のスタッフに動画を撮影してもらった。(動画をご覧ください)

 

 

ちょうどこの日から「奥出雲あじわいロードスタンプラリー」(5月14日まで)が始まっており、加盟店を3つ回ってスタンプを集めると仁多米や牛肉などの特産品プレゼントに応募できる。「八川そば」でスタンプを1つ、広島県に向かう途中にある舞茸奥出雲直売所で立派なマイタケと原木シイタケをお土産に購入して2つ目のスタンプをゲット。さらに坂根-三井野原間の標高差105メートルを大小11の橋と3つのトンネルで一気に駆け上る二重ループ式道路「おろちループ」へ向かった。上りきったところにある「道の駅 奥出雲おろちループ」で「奥出雲和牛カレー」を買ってミッションコンプリート。応募箱にカードを入れて帰途についた。当たるといいな。

 

2023.4.22(土)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

 

ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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