バスと電車と足で行くひろしま山日記 第13回 野呂山(呉市)
年内最後の登山は…痛恨のミス
不、不覚。広駅には9時18分に着いたのだけれど、乗り継ぎの列車がない!なんと9時台の呉線は竹原・三原方面行きの電車が1本もなく、59分も待たなければならないのだ。
いつもスマホアプリで電車の時間を確認しているのだが、横川駅7時25分発に乗るべきところ、7時57分発と見誤ってしまったのだ。
今冬一番という冷え込み中、吹きさらしのホームで待つのは無理。駅員さんに頼んで駅舎の待合室に入れてもらった。救いは構内にセブンイレブンがあったこと。マシンで淹れたレギュラーコーヒーL(150円)は温かく、助かった。
▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ
行き)JR山陽線・呉線(おとな片道860円)/横川(7:57)→安登(10:34)*広のりかえ
帰り)JR山陽線・呉線(おとな片道770円)/安芸川尻(17:14)→横川(18:31)*広島のりかえ
約1時間半遅れのスタート
スタートの安登駅に着いたのは予定より1時間26分遅れ。この失策が後でたたってくるのだが…。
野呂山は瀬戸内海国立公園のエリアでは神戸・六甲山に次ぐ高さを誇る。野呂山という名前は東の弘法寺山(788.6メートル)と西の膳棚山(839.1メートル)の間約2キロに広がる高原の総称だ。「さざなみスカイライン」により山頂まで車で行けることもあって県内ではよく知られている。年配の人は、山上にあった遊園地やサーキットコースを覚えている方も多いだろう。
古刹の表参道を登る
今回の登山ルートは、野呂山の山頂にある真言宗弘法寺の表参道。弘法寺は正式には「野路山 伊音城 弘法寺」といい、弘法大師空海(774-835)が19歳と49歳の二度にわたり岩屋で修行したといわれる。「西之高野山」ともいわれる古刹だ。
安登駅前には登山道の看板があるが、あまりに大雑把すぎてこれを頼りに登山口にたどりつくことは難しい、というか無理。登山アプリYAMAPの地図を参考にしながら市街地を抜け、20分ほどでため池脇の登山口に到着した。小さな沢沿いを登る。鮮やかな赤色の果実をつけた野イチゴや、名前はわからないが鮮やかな紫色の実があり、冬寒の登山を和ませてくれる。
豪雨被害を受けており、ところどころ崩落したり、路面が荒れたりしているところもあるが、「歴史コース」の名にふさわしい風情のある道だ。
谷沿いの道は薄暗く、寒さもあって少々気が滅入るが、沿道に一丁(約111メートル)ごとに里程地蔵が置かれ、和ませてくれる。登ること約1時間で馬の背展望台に着いた。眼前に広がる蒲刈群島、光る海が美しい。雲が多かったが、遠く四国連山、石鎚山まで見えた。ここまでは林道も通じており、車で来ることもできる。(通行可能かどうかは未確認)
微妙な造形の仁王様と巨岩の霊場
一息入れて登山を再開した。20分ほどで仁王門が現れた。仁王像の造形はちょっと微妙だ。ここまで来ると山頂は近い。門内は石畳道がきれいに整備されており、霊場のたたずまいを感じさせる。
仁王門が見えてきた 仁王像。この造形は…微妙かも 仁王像(吽形)こちらも…弘法寺山の山頂付近には、尊像がまつられた巨岩や岩場があり、伊音城八十八ヵ所として呉市の有形文化財になっている。「かん千音岩札所」「毘沙門岩札所」をお参りし、弘法大師の姿が見えるという龍頭岩(すみません。よくわかりませんでした)を経て弘法寺本堂に着いた。
かん千音岩札所 龍頭岩 毘沙門岩 飛び岩。安浦湾一帯を見渡せる天気予報は終日晴れのはずだったが、このころになると小雪が舞い、ますます寒い。本堂前で手を合わせていると、お世話をしている女性から「お堂に上がられませんか」と声をかけられた。ストーブの前で温かいお茶とお菓子をふるまっていただき、縁起の説明を聞く。本堂の奥は岸壁になっており、空海が修行したという奥ノ院岩屋がそのまま堂内にある。厨子の扉は25年に一度しか開かれず、次回大師像を拝めるのは2044年だ。
「西之高野」と呼ばれる弘法寺本堂
美しい氷瀑(ひょうばく)とつららの水琴
そのまま膳棚山方面に向かうつもりだったが、ふと右手の岩壁を見ると、つららが下がっている。もしや、と思って引き返し、少し下って玉すだれの滝に行ってみると、あった。氷結し、各所につららの下がった見事な氷瀑だ。水量が少なかったのか、まだ氷が積み重なっていなかったのか、写真で見たような真っ白な姿ではなかったが、しばし感動。凍結しきっていない水が岩の上に張った氷の裏側を流れてつららをつたって流れ落ちている。その水音は水琴のようだ。(ぜひ動画をご覧ください)
氷結した玉すだれの滝 星降る展望台から眺めた下蒲刈島と女猫の瀬戸氷池とカップヌードルとカモ
高原を西に向かい、「氷池」のそばのあずまやでちょっと遅い昼食をとることにした。説明板などによると、明治36年(1903)年に完成した天然氷を作るための人工池で、冬に池に張った氷に何度も水をかけて厚くし、麓の氷室で保存して夏に広島県内はもとより、岡山、山口、愛媛、九州まで出荷していたという。明治38年の出荷額は、当時の川尻村の収入の4分の1を占めるほどだったという。
今回も寒いことはわかっていたのでガスバーナーを持参してカップヌードル。カレーばかりでは芸がないのでシーフードにしてみた。準備をしていたら、「グワッ、グワッ」という大きな声がした。顔を上げると、池からカモの一群が上がってきてこちらを見つめている。餌を欲しがっているのはわかるが、さすがにインスタント麺を分けるわけにもいかないのでご遠慮願った。その後やってきた親子連れがパンくずをもってきたので無事食事にありつけたようだった。氷池は結氷していなかったが、わきにある小さな池は全面氷におおわれていた。
膳棚山ピークはフェンスの中
さらに西に向かい、下山路の起点となる十文字ロータリーにたどり着いたのが午後3時。ここから通信アンテナが林立する最高峰の膳棚山(839.1メートル)までは約20分。往復すると下山開始は午後4時近くになる。冬至が近いいま、日没は午後5時過ぎ。微妙な時間だが、行ってみることにした。一生懸命歩いてたどりついた頂上近く。だが、ピークはアンテナ施設の中にあり、フェンスに登山者が付けた「膳棚山」の木札がぶら下がっているだけだった。残念だが、ここまでだ。
ミヤマシキミ。雪もあってクリスマスらしいけど有毒 膳棚山の山頂は無線塔の敷地内なので入れない。金網に山名を書いた板がくくりつけられていた岩海を経て夕暮れの山道を下山
下山を急がなければならないが、最後に寄っておきたいところがあった。「岩海」(がんかい)だ。野呂山は、約8000万年前にマグマが噴出してできた流紋岩が地殻変動によって隆起して形成された。その後、冷やされた岩には風化作用で様々な割れ目ができ、この割れ目に沿って雨や風で削られて崩壊した岩が集まって岩の海のようになった地形を岩海というのだそうだ。
桜谷岩海。遊歩道から見渡せる川尻町側の2つの登山道のうち、西側の登山道「どんどんコース」の途中と東の登山道「かぶと岩コース」を結ぶ遊歩道から岩海を見られることは事前に調べてあった。日没まで30分を切った頃になんとか巨岩が連なる岩海の迫力ある写真を撮影し、「かぶと岩コース」に出て下る。日は傾き、どんどん暗くなるが、何とか道は見える。なかなか川尻の町が近付いてこない。少々焦る。朝、時間を間違えなかったら余裕だったのになあと思いつつひたすら下った。
川尻側の登山口。2ルートあるがどちらもきつそう登山口に着いたのが日没10分前。ゴールのJR安芸川尻駅には午後5時12分到着。2分後に広行き電車に滑り込んだ。乗り遅れると小一時間待たされることになるのでぎりぎりセーフだった。総歩行距離は約15キロで、今シーズン最長だった。
《メモ》幻のサーキットと遊園地
野呂山上にはかつて、自動車レースを開催できる「野呂山スピードパーク」があった。1969年に開設された1周1.7キロのコースで、常設サーキットの草分け的な存在だった。しかし、騒音問題や石油ショックなどにより1974年に閉鎖された。わずか5年ほどの営業期間だった。Googleマップの航空写真で見ると、今もサーキットのコースの跡が確認できる。西側には、遊園地「野呂牧場遊園」があった。「川尻町誌」によると、高さ50メートルの展望タワーや観覧車、長さ90メートルの滑り台、ジェットコースターなどが整備され、多くの家族連れらが訪れた。筆者も子供の頃、連れてきてもらった記憶がある。この遊園地も石油ショックを機に閉鎖された。現在は太陽光発電施設になっている。
1975年1月31日撮影の航空写真。サーキットや遊園地の遊具が確認できる 出典:国土地理院
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「バスと電車と足で行くひろしま山日記」は今回が年内最後です。新年は1月6日から再開します。厳島・弥山(廿日市市)の予定です。みなさま良いお年をお迎えください。
2021.12.19(日)取材 ≪掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください≫
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラム「バスと電車と足で行くひろしま山日記」