バスと電車と足で行くひろしま山日記 第11回 倉橋火山・後火山(呉市)
▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ
行き)
① JR山陽線・呉線(おとな片道510円)/横川(7:57)→呉(9:06)
② 広電バス(おとな片道840円)/呉駅前(9:20)→桂浜・温泉館(10:29)
帰り)
① 広電バス(おとな片道840円)/桂浜・温泉館(14:54)→呉駅前(15:58)
② クレアライン高速乗合バス(おとな片道740円)呉駅前(16:12)→本通り(16:57)
冬の寒い日は、暖かい日差しを浴びながらの陽だまり登山がいい。となると南に向かう一択だ。
広島県の最南端に近い倉橋島の南部は、四国・愛媛県今治市の北端・波方町よりも南に位置している。倉橋島の名山として多くの登山者を集める倉橋火山(408メートル)と後火山(455.8メートル)に登り、瀬戸内海の絶景と万葉集にも詠まれた桂浜、温泉まで楽しめるぜいたくなコースを紹介しよう。
「還暦」の音戸大橋を渡って
倉橋島へはJR呉駅前の3番乗り場から広電バス呉倉橋島線の桂浜・温泉館行きに乗る。呉市街地から工業地帯を経て風光明媚な海岸沿いを楽しめる路線だ。
本土側の警固屋からは音戸大橋を渡る。音戸の瀬戸をまたいで本土と倉橋島をつなぐこの橋は、赤く塗られた優美なアーチ橋で、ループ状の進入路とともに深い印象を与えてくれる。
1961年に開通し、今年は人間なら還暦にあたる60周年。この日は記念式典があり、バスが通りかかった時間には、倉橋側の広場ではイベントの準備が進められていた。
火山山頂は大混雑
終点の桂浜・温泉館バス停までは1時間余りの乗車だが、天気が良かったこともあって沿岸をめぐる車窓の風景は変化に富み、飽きることがない。あっという間に到着した。
火山登山口。手書きの看板が温かい
温水プール前の駐車場を抜けるとすぐに登山口。段ボールにフェルトペンで手書きした看板になごむ。
登山道はよく整備されているが、樹林帯の中は落ち葉が厚く積もっていて少し滑りやすい。とはいえ傾斜もさほどではなく快調に高度を稼ぐ。
標高180メートルほどまで登ると視界が開け、周防大島が望めた。
登山道脇の大石に刻まれた文字。読み方は?
鹿島大橋で倉橋島と結ばれた鹿島
標高300メートル付近には後火山へのショートカットルートが分かれているが、災害復旧工事のため2022年2月まで通行止めだ。
山頂に近づくにつれて傾斜が増す。巨岩の間をすり抜けるような個所もある。
登山口から50分ほどで火山の頂上に着いたが、お昼時だったこともあり、登山者で大混雑。ここでの昼食はあきらめて後火山に向かった。
絶好の展望台
後火山へはいったん急な木段の斜面を下る。鞍部には宇和木峠からの車道と駐車場、お手洗いなどが整備されている。ここまで車で来れば、火山山頂までは10分ほどだ。
後火山のピークまでは10数分。樹林に囲まれてまったく展望がないので写真だけ撮って引き返す。鞍部に下る途中にあずまやが整備された展望台があり、ここで昼食をとることにした。
ここからの眺めも素晴らしい。
眼下に美しい段々畑で知られる鹿島とトラス橋の鹿島大橋、その向こうは愛媛県の中島。四国の山並みはすぐそこだ。西日本最高峰の石鎚山(1982メートル)の姿もうっすら見えた。振り返ると江田島、能美島。倉橋島と能美島をつなぐ早瀬大橋の力強いトラス構造が目を引く。
あずまやに腰かけて景色を楽しみながらゆっくり昼食(今回はコンビニおにぎりとパン)をいただいた。
火山の山頂は360度のパノラマ
鞍部から再び火山へ。少し混雑も緩和されていたので、はしごを伝って大岩の上に登ってみた。ここは遮るものがない、まさに360度の眺望(動画とパノラマ写真をご覧ください)。ふもとの倉橋町の町並みがとても近くに感じる。飽きない時間だったが、次を待っている人もいるので降りて下山にかかる。登山口までは約30分だった。
火山山頂の展望岩(勝手に命名)から見た360度の眺望火山山頂から倉橋の町並みを望む
万葉集に詠まれた古代の交通の要衝
桂浜の海岸には美しい松原が広がっている。このあたりは古代から瀬戸内海の航路の要衝だった。奈良時代に成立した現存する最古の歌集である万葉集の巻15には、桂浜にまつわる歌が8首収められている。
当時倉橋島は長門島(ながとしま)と呼ばれていた。天平8年(736年)に官吏の大石蓑麿が遣新羅(しらぎ)使として朝鮮半島の新羅に向かう途中に長門島で碇泊した際によんだ歌がある。
「石走(いわばし)る滝もとどろに鳴く蝉(せみ)の声をし聞けば都し思ほゆ」
(岩を流れ落ちる滝もとどろくほどに鳴く蝉の声を聞くと都がしのばれることよ)
遠く離れた都を思う心情をつづっている。
松林の中には桂浜神社の大きな鳥居が立っている。作者は不明だが、こんな歌もある。
「わが命を長門の島の小松原幾代を経てか神(かむ)さびわたる」
(わが命を長くと願う、長門の島の小松原はどれほどの歳月を経て、これほど神々しくなってきたのだろう)
当時の航海は命がけ。松原を見ながら船旅の無事を願ったのだろうか。
(注:読み下し文と口語訳は、中西進著「万葉集(三)」講談社文庫 による)
登山の後のお楽しみは亜麻色の温泉
万葉の記憶を味わった後は温泉だ。バス停の名前にもなっている桂浜温泉館は入浴料700円。この日は男性が1階の石の風呂、女性が3階の海の風呂だった。
泉質は含弱放射能-ナトリウム-塩化物温泉。広い内風呂と露天風呂があり、露天風呂は地下1650メートルからくみ上げたという源泉を使っており、亜麻色の少しぬるめのお湯は肌に優しく登山の疲れをいやしてくれる。停留所が施設の真ん前なのでバスの時間ぎりぎりまで粘ってから帰途についた。
帰りのバスからは、還暦を迎えた音戸大橋と、交通渋滞の解消のため2013年に開通した第二音戸大橋のツーショットが楽しめた。
この第二音戸大橋、平清盛が音戸の瀬戸を開削した際に扇をかざして沈みゆく太陽を呼び戻して工事を完成させたという伝説に基づき、「日招き大橋」という愛称が公募で付けられた。だが、あまり定着していないようだ。この地にかかる橋には、やはり「音戸」の名が似合うと思う。
2021.12.5(日)取材 ≪掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください≫
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラム「バスと電車と足で行くひろしま山日記」