バスと電車と足で行くひろしま山日記 第10回 窓ヶ山・向山(広島市佐伯区・安佐南区)

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ

行き)

JR山陽線(おとな片道200円)/横川(8:35)→五日市(8:46)

広電バス(おとな片道460円)/五日市駅南口(9:00)→魚切(9:28)

帰り)

広電バス(おとな片道500円)/こころ西風梅苑(15:18)→横川駅前(15:45)

 

季節が進み、気温もめっきり下がってきた。山間部はしぐれ模様の日も多くなり、そろそろ県北の山に登るのは厳しい環境だ。冬の間はできるだけ南部か市街地近郊の山々を訪ねることにしよう。今回は広島市街地から1時間ほどで行けるうえ、登りがいも眺望の楽しみもある窓ヶ山(711.4メートル)から向山(665.9メートル)を縦走するコースを紹介する。三倉岳に続く岩峰シリーズ第2弾。

魚切バス停から窓ヶ山(奥)に向かう登山道の入り口 魚切バス停から窓ヶ山(奥)に向かう登山道の入り口

岩稜の双耳峰


窓ヶ山は広島湾岸から見てもよく目立つ。ともに白い岩肌を見せる西峰と東峰の二つのピークをもつ双耳峰で、間に深いキレット(山稜が深く切れ込んでいる鞍部)がある特徴的な容姿だ。
江戸時代に編まれた広島藩の地誌「芸藩通志」には「窓山、両峰対峙し、其間(そのかん)空隙ありて窓の如し、或伝、窓は迷いの義にて樵(きこり)路行まどふよりいふなり」とある。
キレットのことを地方によっては「窓」と呼ぶ。北アルプス・剣岳(2999メートル)の北方稜線には有名な「大窓」「小窓」「三ノ窓」がある。山名は「窓」に由来するのか、「惑う」「迷う」から来ているのか、確証はない。いずれにしても古くから人々の興味を引く山だったことは間違いない。

キレットを挟んで西峰(左)と東峰が並ぶ窓ヶ山 キレットを挟んで西峰(左)と東峰が並ぶ窓ヶ山

急登の正面登山道からトライ


登山ルートは複数あるが、一番ポピュラーなのは正面から登る魚切コースだ。
このコース、地図を見ていただくとわかるが、標高300メートル付近からはひたすら急坂の直登だ。古い話になるが、半世紀近く前に初めて登った際、とにかく辛くてしんどかった記憶しか残っていない。そのため、その後は別ルートから登り、魚切コースは下山にしか使ってこなかった。だが、コラムに載せる窓ヶ山の特徴ある姿を撮影するためにはこのルートを登るしかない。覚悟を決めた。

登山口の案内看板。子供(?)のイラストがほほえましい 登山口の案内看板。子供(?)のイラストがほほえましい

魚切バス停で湯来ロッジ前行きのバスを下車。窓ヶ山を正面に仰ぎながら集落の舗装路を抜け、15分ほどで西峰登山口に到着。トレッキングポールを伸ばして登山開始だ。
登山アプリYAMAPのコースタイムは1時間25分。道は比較的整備されているが、倒木が結構あり、くぐったり、乗り越えたりを繰り返す。あまり眺望もないので、斜度が増す後半はひたすら登ることに集中する。七合目を過ぎると、枝の間から海が見えるようになり、気持ちが上がる。上方の岩と樹木の間に青空がのぞいた、と思ったら稜線に達した。最高地点のある西峰までは数分でたどりついた。1時間9分。もちろんきつくはあったのだが、他の山に比べて特別苦しかったわけではなく、抱え続けてきた重たい記憶(ちょっと大袈裟?)を払拭できたような気がした。

 

登山道はしっかりしているが倒木が結構多い 登山道はしっかりしているが倒木が結構多い 写真ではわかりにくいが結構な急登 写真ではわかりにくいが結構な急登 記念碑のようにも見える岩 記念碑のようにも見える岩 やっと尾根まで登った。奥の道は白川に通じる中国自然歩道 やっと尾根まで登った。奥の道は白川に通じる中国自然歩道 窓ヶ山西峰ピーク 窓ヶ山西峰ピーク

 


山上の二つの祠(ほこら)


東峰に向かうルート上には、「首なし地蔵」と「遠藤小祠」という二つの祠がある。
首なし地蔵は、古来この地域に婚儀の席にお地蔵さんを据える風習があり、山から転がして下ろしているうちに首が取れてしまったのだという。遠藤小祠は第二次大戦中の1944年10月19日、乗機が山腹に激突して亡くなった遠藤幸夫陸軍曹長をしのんで地元の人が建てたのだという。(いずれも案内板の説明から)
二つの祠の間には「おんな岩」があり、ここからの眺望もすばらしい。

おんな岩からの眺望 おんな岩からの眺望

キレットの底は標高約640メートル。見上げるような巨岩が積み重なっていた。

キレットの底に積み重なる巨岩 キレットの底に積み重なる巨岩

続いて東峰(699メートル)へ登り返す。鎖場もあるが、鎖に頼らなくても登ることができる。
東峰は比較的広いスペースと眺めの良い平坦な岩もある。この日は天気予報で冷えることがわかっていたので、ガスコンロとカップヌードル(カレー)を持参。風を避けて岩の陰で湯をわかし、カップに注いで3分待つ。ああ、山の上で食べるカップ麺って、何でこんなにおいしいんだろう。残ったお湯でドリップコーヒーも淹れ、充実の昼食休憩だった。

 

東峰のピークから見た五日市の町と広島湾の島々 東峰のピークから見た五日市の町と広島湾の島々 寒い山上の昼食はカレーヌードル最高 寒い山上の昼食はカレーヌードル最高

 

さて、最短コースなら憩の森に下山するのだが、時間もあるし、尾根伝いに仏峠(ほとけだお)を経由して向山(665.9メートル)を縦走してこころ団地に向かおう。向山へ通じる道は踏み跡こそしっかりしているものの、これまで歩いてきた道に比べると少し心細い。昔の街道が通じていたという仏峠まで約1時間を要した。

仏峠の説明板。かつての主要道だったという 仏峠の説明板。かつての主要道だったという

向山への登り返しを見上げると看板あり。
「奥原の岩場へ最後の登りです あと20分頑張りんさい」
励まされて、足を進める。登りは意外にきつい。20分では無理で、30分かかって「奥原の岩場」に着いた。

癒されます 癒されます 展望抜群の奥原の岩場 展望抜群の奥原の岩場


古の高速道路を望む絶景の岩場


ここからの眺望のすばらしさはもっと知られていいと思う。北は白木山から南は厳島、極楽寺山が一望できる。それだけではない。眼下の武田山から火山、大茶臼山、鈴ヶ峰に続く山並みの西側は、律令制下で畿内と九州・大宰府を結ぶ最重要街道だった古代のハイウェイともいえる山陽道が通っていたのだ。
当時の山陽道は現在の府中町から広島市安佐南区沼田町を経て五日市に抜けるルートだったとされている。下岡田官衙遺跡(府中町石井城二丁目、国史跡)や中垣内遺跡(広島市佐伯区)は、街道沿いに設けられた駅家(うまや)の跡だったと見られている。恐らく現在の広島市のデルタはなく、海がかなり内陸まで入り込んでいたからなのだろう。時代が下って広島が城下町になった近世以降は、主要道の西国街道、国道2号は広島湾岸に移ったが、現代の高速道路である山陽自動車道は再び古代の山陽道に近いルートに戻ったのは興味深い。

縦走してきた窓ヶ山 縦走してきた窓ヶ山 遠く三倉岳が見えた 遠く三倉岳が見えた コショウノキの自生地 コショウノキの自生地

再び癒しの看板


奥原の岩場を後に数分登ると向山の山頂。またも看板。
「よう登ってきたね~ 下りも気ぃ付けんさいのぉ」
はい、ありがとう。
この先は眺望もあまりなく、楽しい歩きではない。こころ団地に向かう急坂の下りは結構足に来る。約1時間で下山。登山口にほど近い、広電バスのこころ西風梅苑バス停から広島バスセンター行きのバスで帰途についた。この路線は便数も多いので、時間の読みにくい山行にはありがたい。

 

《メモ》
魚切以外の登山ルートとしては窓ヶ山憩の森ルート(窓ヶ山まで1.3キロ)と白川バス停ルート(同3.9キロ)もある。憩の森はアストラムライン大原駅からフォーブルバス奥畑線で終点の上奥畑(終点)下車、徒歩2.5キロで登山口へ。緩斜面とはいえそれなりに高度差のある舗装路歩きが長いので、マイカーがあるなら憩いの森駐車場まで行った方が楽。登山口と山頂の標高差は200メートルほどで道もよく整備されているので割と楽に頂上に立てる。白川バス停ルートは魚切から6停留所先で下車し、林道を歩いて登山口に。尾根伝いに登るので傾斜はそれほどきつくないが、山頂までの距離は長い。両ルートは中国自然歩道矢口・極楽寺ルートの一部になっている。

 

ライター えむ
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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