歌がつなぐ平和への願い 「アオギリの歌」を作った小学生
平和学習の一環で、広島の子どもたちに広く歌われている「アオギリのうた」。
実はこの曲、7月から広島ホームテレビのアナウンサーに仲間入りした、森光七彩(もりみつ・ななせ)アナウンサーが、小学生の時に作詞作曲した歌なんです。
視聴者の方からの手紙をきっかけに、制作した当時の思いを聞きました。
(広島ホームテレビ『5up!』2021年8月17日放送)
先日、視聴者の方から『5up!』宛に手紙が届きました。
『先日、孫が遊びに来て、保育園で習った「アオギリのうた」を歌ってくれました。森光さんがどんな思いでこの歌を作ったのか聞いてみたいです』
手紙を送ってくださったのは、広島市に住む女性。
お孫さんが歌ってくれた「アオギリのうた」を聴いて、この歌が好きになったそうです。
この歌が生まれたのは20年前、森光アナが小学校2年生の時です。
平和学習で被爆アオギリついて勉強したことがきっかけでした。
広島市内で原爆により被爆したアオギリは、焼けて傷を負いながらも、翌年、芽吹き、その種から発芽したたくさんの2世の苗木が全国の小学校などで成長しています。
被爆アオギリ
森光アナウンサーが通っていた小学校にも、青々とした綺麗な2世のアオギリの木がありました。
そのお母さんの木、平和公園にある被爆アオギリのえぐれた幹を見たとき、「こんなに傷ついて、しんどい思いをしながらも、ずっと生き延びているんだな」と強く感じたといいます。
「自分が何か発信しないと」そんな衝動にかられ、思いを書きだしていたんだろうと森光アナは当時を振り返ります。
音楽家の両親の影響で幼い頃から作詞作曲に親しんでいた森光アナ。
その後、アオギリについての作文を見た母の勧めで作曲しました。
その年、広島市で公募していた「広島の歌」に「アオギリのうた」を応募したところ、915作品のなかからグランプリに選ばれたのです。
子どもの作品は、森光アナの楽曲だけでした。
「アオギリのうた」は、今では広島県内外、広く「広島の歌」として歌われるようになり、
森光アナも学校やステージで歌い続けてきました。
「平和であれと願っても、その活動はなかなか難しい。でも、歌を通してなら、年齢関係なく、小さな子からお年寄りまで、思いを届けられることがすごくいいなと思っています。」
と森光アナ。
歌い続けることが平和につながると思って活動していきたいと語ります。
手紙をくださった女性のお孫さんの保育園を訪ねてみました。
この保育園では、毎年8月6日が近づくと「アオギリのうた」を歌い平和教育をしています。
♪ 遠いむかしのきずあとを 直してくれるアオギリの風 遠いあの日のかなしいできごと
森光アナと一緒に「アオギリの歌」をうたってくれた園児たち。
「平和にするためにはどうしたらいいかな」という問いかけに、「ケンカしないこと」、「ごめんねってあやまったらいい」と答えてくれました。
「野球をする人、サッカーをする人、大好きなこと、得意なことが、みんなあると思います。私も音楽が好きで、ずっと演奏をやっていたら平和につながりました。
みんなも、ずっと好きなことを、ずっと頑張って続けていたら、それが誰かのためになったり、平和につながったりすると思うので、今、大好きなこと、頑張っていることを、ずっとずっと続けてもらいたいなと思っています。」と話す森光アナウンサー。
手紙をくださった方は、この歌がきっかけで、被爆樹木について学んだり、被爆者の方の話を聴きに行くようになったり、すごく世界が広がったと話していました。
歌が伝える平和の大切さ。
「アオギリの歌」は、1番が被爆アオギリの現状、2番は未来への思いがつまった歌詞となっています。
「広島の願いはただひとつ 世界中のみんなの明るい笑顔」
歌の最後のフレーズのように、平和な世の中を願って、一人一人が行動していきたいですね。
ひろしまリード編集部