石原良純“4つの防災提言” 被災地・広島県呉市を訪れて【西日本豪雨から2年】
「“提言”という形で、お伝えしてみてはどうでしょう。」
広島県内でも多大な犠牲者を出した西日本豪雨から、まもなく2年。その防災特別番組(*)の打ち合わせでこう提案したのは、気象予報士であり、これまでメディアを通じて防災について多くの意見を提示してきた石原良純である。
石原自身、小学生時代に神奈川県の自宅の裏山が、大雨の影響で崩れた光景を目の当たりにした過去を持つ。土砂崩れの脅威を思い知らされたと同時に、「災害は人ごとじゃない」と実感したという。
局地的な豪雨による災害が増え、記録的な風と雨をもたらす台風が頻繁に発生する近年、自然災害はいつ誰に降りかかってもおかしくないと捉えることが、防災の第一歩だと語る。
「例えば、広島はこんなに水害に見舞われるところじゃないって、多くの人が思っていたかもしれません。ところが、2014年には広島土砂災害、2018年に西日本豪雨災害が発生しました。もはやどこに住んでいても、自然災害は人ごとではないんです。」
広島県内の土砂災害警戒区域(国土交通省発表)は、全国で最多の4万か所以上。広島県民は“人ごと”どころか、日本で最も“自分事”として防災を考えなければならないと言っても過言ではない。
―石原良純が見た“被災地の今”―
先月27日(土)、石原は実際に広島県呉市・天応地区を訪れ、2年前に起きた西日本豪雨で土石流の被害を受けた場所や仮設住宅を回った。
かつては中学校だった場所は災害の影響で使えなくなり、地域で唯一のスーパーも閉店。現地の状況は、1つの災害によって今まで住民にとっては当たり前だった日常と風景が、一変してしまう恐ろしさを物語っていた。
ある夫婦は、災害にあった当日の状況をこう語る。
「夕方に外へ出ると異臭を感じたが、子供のころから天応地区で過ごす妻の『大丈夫』の一言もあって避難はしなかった。状況が悪化し、夜に避難することを決めた時には、既に避難できない状況になってしまっていた。」
その家は浸水し、土砂も流入して取り壊さざるを得なくなった。まもなく2年が経とうとしている今も、同地区では未だに仮設住宅での生活を余儀なくされている人々や、元の家に帰ることができずにいる人々が多数いるのが事実だ。
その一方で、地元住民の前向きな姿勢と、急ピッチで進む復興の様子にも、石原は気づいた。
「想像以上に復興が進んでいるなという印象。中でも特に印象に残っているのは砂防ダム。地域の方々の“この土地とこの場所に住む人が好きだから、これからもここで暮らしたい”という気持ちに、強さを感じました。」
呉市立天応中学校近くには、砂防ダムが新たに建設された。同地区内には、国と広島県が他にも砂防施設の建設を予定している。また先述の夫婦は今年2月に、かつて家があった場所をかさ上げし、災害に強い建築方式で新たな家を建てた。街は、人は、再び歩き出しているのだ。
“被災地の今”を見つめた石原は防災提言の1つとして、命を守るためには防災について考え、知ろうとすることを止めてはならないと主張する。
『わからない』で命を落とすこともある
「例えば同じ気象条件のもとであっても、住んでいる場所、一緒に住む家族などによって避難するべきタイミングは異なってきます。環境や家族構成、住む家の構造などから自分にカスタマイズされた防災基準を持つことが重要。だからこそ防災について考えて、知ろうとすることを止めてはならないんです。西日本豪雨災害後、気象庁が5段階の警戒レベルを用いて、住民が取るべき行動、避難のタイミングを知らせるようになりました。最近では天気に関する情報も、テレビ以外にネットやアプリで詳細なデータまで見られるようになりました。気象庁が発表する情報が難しくて『わからない』、ネットやアプリなんて使い慣れてないから『わからない』と、考えることを放棄しないで欲しい。その『わからない』で命を落とすこともありますから。」
今年はさらに、新型コロナウイルス感染拡大防止のために、避難所での対策も求められる。「新たな生活様式」の中で、誰も経験したことがない梅雨時期を迎えた今こそ、石原は提言する。『わからない』で終わらせないことが、もう二度と同じ悲しみを繰り返さない、私たちの未来に繋がるのだ。
今月4日に放送される防災特別番組では、石原の4つの提言から「あるべき避難の形」を考える。
*広島ホームテレビにて7月4日(土)ごご3時30分~放送