バスと電車と足で行くひろしま山日記 第90回特別名勝・三段峡トレッキング(安芸太田町)

上流側から見た黒淵

 

あっという間に梅雨が明けてしまった。広島で6月中に梅雨明けするのは初めてだそうで、夏の水不足が心配になる。梅雨の期間中も蒸し暑い日が続いていた。今年、この時期の山登りは熱中症のリスクが高い。比較的涼しいのは峡谷だ。峡谷と言えば、広島には天下に誇れる特別名勝、三段峡がある。険しい峡谷内の遊歩道は近年、豪雨災害で通行止め個所が多発し、満足に歩けない状況が続いてきた。昨年秋の紅葉シーズンはメーンルートの中間部、黒淵~水梨口間が通れなくなっており、下流側から入峡しても黒淵で引き返すしかなかった。久しぶりに三段峡観光の情報を提供している「一般社団法人地域商社あきおおた」のHP「あきおおたから」(https://cs-akiota.or.jp/company/)をのぞいてみると、黒淵~水梨口間の通行止めが解除されていた。正面口から峡谷美のハイライト・三段滝を往復することが可能になったので、トレッキングに行ってみることにした。

 

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ、往復とも高速道経由
行き)広電バス三段峡線(おとな片道1570円)/広島バスセンター(8:23)→(9:34)三段峡
帰り)広電バス三段峡線(おとな片道1550円)/三段峡(15:06)→(16:13)横川駅前

 

 


バスは高速道経由で


今回は久しぶりに公共交通機関を利用した。広島市内から三段峡に向かうバスのルートは2種類ある。中国自動車道を経由する高速便と、廃線となった旧可部線に沿って県道・国道を走る在来便だ。在来便は高速便より約50分も所要時間が長くなるため、できるだけ高速便を使いたい。その場合、往路は9時34分三段峡着、復路は15時6分三段峡発の一択となる。滞在可能時間は5時間30分だ。標準のコースタイムだと昼食休憩込みで約6時間かかるため、結構早いペースで歩かなければならない。万が一間に合わなかったら在来便でのんびり帰ればいいと腹を決めて出発した。

 


三段峡を世に出した先人たち


西中国山地の秘境といわれる三段峡は、江戸時代からその峡谷の見事さが知られていた。明和5年(1768年)に加計村(現・安芸太田町)の鉄山経営者佐々木八右衛門正封(まさたか)が太田川上流域の53の景勝地の絵に漢詩や和歌などの画賛をつけた「松落葉集」(まつのおちばしゅう)には、「龍口(たつのくち)」「三段龍頭」(三段滝のことか)「猿飛」などが紹介されている。広島藩の地誌「芸藩通志」には「龍口瀧図」として詳細な絵が掲載されている。当時は交通の不便さもあり、知る人ぞ知る存在だったようだ。

明治期の新聞に探訪記が掲載されたこともあったが、一般に広く知られるようになったのは、大正期の写真技師・熊南峰(勝一、1876~1943)と、友人で教師の斎藤露翠(軍一、1884~1964)の功績が大きい。熊は大正6(1917)年に初めて三段峡に入り、その峡谷美に感動。「安芸三段峡三十三景」(1922)を発行するとともに、斎藤と協力して名勝指定運動や観光開発の推進に主導的な役割を果たした。三段峡は1925年に当時の史蹟名勝天然記念物保存法により名勝(1952年に文化財保護法により特別名勝)に指定された。熊は遊歩道の整備にも尽力し、1929年に三段峡と奥三段峡、八幡高原を紹介した写真集「安芸三段峡」も出している。ちなみに三段峡の名前は、「松落葉集」の序文にこの地域が中国・蜀の時代の「三峨(山が高く険しいさま)」「三峡」に似ていると書かれていたことから、熊が命名したという。

三段峡バス停のある広場は2003年に廃線になった旧可部線三段峡駅のあった場所だ。跡地に立つ交流館の東側の軒下には、熊と斎藤の写真と年譜が掲示されている。

 

 

バス停のある三段峡正面口

 

交流館に掲げられた熊南峰(右)と斎藤露翠の写真

 


序盤のハイライト・龍ノ口


三段峡の恩人ともいえる熊と斎藤の情熱に思いを馳せながら峡谷に入ったのは午前9時50分。最初の長淵橋の上から上流側に見えるのが長淵だ。手前は砂礫が堆積しているが、約100メートルに及ぶ穏やかな淵が上流に向けて続いている。探勝路は柴木(しわぎ)川の左岸に取り付けられている。コンクリートで舗装された歩きやすい道だ。ほどなく前方に右手の斜面から覆いかぶさるような巨岩が現れた。「狼石」と銘板がついており、13メートルもある長辺の上部は苔に覆われている。山上から転がってきた岩が止まったまま苔むしてしまったのだろうか。

 

長淵橋から長淵を望む

 

狼石

 

歩き始めて15分、対岸に二筋の滝が見えてきた。姉妹滝。ガイドブックによると、支流の谷から流れ込むしなやかな姿は峡内随一だそうだ。

 

淵に注ぐ姉妹滝

 

姉妹滝が注ぐ淵に流れ込む本流の滝が、芸藩通志にも描かれた龍(竜)ノ口だ。急流の浸食作用で岩盤が龍のように蛇行しながら削られ、滝の部分は龍が水を吐き出すような迫力がある。轟音を立てて流れ下る様子は序盤のハイライトだ。

 

龍ノ口の全景

 


多様・多彩な景観が続く


さらに10分ほど歩くと、右手の斜面の岩肌から静かに流れる滝に出会った。岩肌は濃い赤というか、赤さび色に染まっており、その名も赤滝という。湧水や清涼な河川水などに生育する藻類のタンスイベニマダラの色だそうだ。

 

赤滝。タンスイベニマダラという藻類の色

 

さらに進むと、探勝路をふさぐように大きな岩が屹立している。庄兵衛岩だ。ノミでくり抜いたトンネル(「庄兵衛くぐり」というのだそうだ)が掘られており、頭を低くしながら通り抜ける。

 

庄兵衛岩と庄兵衛くぐり

 

トンネルを抜けてしばらく歩くと、眼下に深い緑色の水をたたえた淵が見えた。女夫淵(めおとぶち)だ。かつてここにあった滝の滝壺として形成された跡なのだそうだ。そのすぐ上流に石樋(いしどい)と名付けられた勝景がある。花崗岩の岩盤を約200メートルに渡って水路(樋=とい)のように掘られた細く深い流れが続いている。

 

深い緑の水をたたえた女夫淵

 

女夫淵の上流にある石樋

 

石樋の中間あたりに休憩所があり、「石樋観音」の看板が立っている。川岸の巨岩のくぼみの中に仏像のような姿が見える。風化と水流による自然の造形なのだろうが、見事なものだ。

 

巨岩の中にたたずむ石樋観音

 

その先に進むと、流路の左側に絶壁を抱えた岩峰が立ち上がっている。天狗ヶ岳だ。まるで山水画の世界のようだ。

 

石樋の上部と天狗岳の岩峰

 

ぐるの瀬(手前)。後方は塔岩

 

さらに5分ほど歩き、塔岩とぐるの瀬をすぎると、川の中に巨大な岩が鎮座しているのが見える。蓬莱岩だ。長さ約20.5メートル、幅約16メートル、高さ約8メートルもある流紋岩質の岩で、中国の伝説上の山にちなんで名づけられたそうだ。川の中にあるので上流から運ばれてきたのかと思われがちだが、基盤の岩盤から水流で削り出されたものだそうだ。

 

河床に鎮座する蓬莱岩。長さは20.5メートルもある

 

親子岩

 


黒淵としんどい迂回路


対岸の親子岩を見送ってまもなく、道が二手に分かれる。川岸に下りる左の道は黒淵渡舟の乗り場だ。往復料金はおとな500円、こども400円(片道は各300円、200円)。せっかくなので乗っていこうと思ったが、ちょうど出発したばかり。片道10分かかるので、すぐに戻ってきてくれても30分要することになる。黒淵は前半のハイライトともいえる勝景なのでぜひのってみたかったのだが、帰りのバスを考えると、ここで時間をロスするわけにはいかない。引き返して黒淵を迂回する道を選択する。黒淵は両岸が切り立った崖になっているので、探勝道も絶壁に取り付けられた高巻き道になっており、上り下りともきつい。黒淵の迂回部分は10分ほどだったが、全ルート中もっともしんどい場所だった。

 

黒淵渡舟乗り場(左)と迂回路の分かれ道

 

舟は出たばかりだった

 

探勝路から見た黒淵

 

上流側の乗船場から見た黒淵

 


災害の記憶を止める二つの吊り橋


家族連れや軽装のカップルは黒淵で引き返すケースが多い。ここから先はぐっと人が少なくなる。15分ほど歩くと、吊り橋が現れた。蛇杉橋(57メートル)だ。この橋で右岸に渡り、その先の南峰橋(27メートル、熊南峰にちなんで命名)を渡って左岸に戻る。元々の探勝道は左岸に取り付けられていたが、1988年7月の集中豪雨で岩屑なだれが発生して道を押し流したうえ、その後も斜面の状態が不安定だったため、道を付け替えたのだそうだ。

両橋とも川の流れを真上から見られる数少ない場所で、ヤマメなのか、魚が泳いでいるのを見ることもできる。ただ、南峰橋は渡り終える手前の橋桁に穴が開いていた。風景に見とれて気付かないとはまり込む危険性があるので注意が必要だ。(行政の方、修繕して下さい)

 

蛇杉橋

 

橋桁に穴が開いていた南峰橋

 


王城洞門から耶源、水梨口へ


11時30分、再び行く手を阻む巨岩と手掘りのトンネルが現れた。王城洞門だ。王城と呼ばれる岩の屏風に立ち往生する難所ということから名付けられたという。

さらに10分ほど歩くと探勝道の高さが増し、対岸に縦の節理(割れ目)の入った絶壁が現れる。耶源(やげん)だ。河床には巨大な岩が転がり、絶壁の上部は木々に覆われるなど絵のような風景が楽しめる。帰途に河原へ降りてみたが、なかなかの迫力と優美さだった。

耶源から10分ほどで水梨口に到着。国道191号からここまで町道水梨線が通じており、マイカーがあれば三段滝への最短コースになる。

 

王城洞門。手掘りのトンネルだ

 

耶源の絶壁

 


ハイライトの三段滝へ


水梨口から葭ヶ原一帯は水梨川、柴木川、横川(よこごう)川が合流しており、砂礫の堆積する平地が広がっている。ここから三段滝へは約30分の道のりだ。本来なら横川川沿いに進み、渡船でしか行けない猿飛を経て二段滝(1988年の集中豪雨で一段目がはぎとられ、現在は一段滝)に向かう探勝路もあるのだが、落石の危険があるため通行止めになっている。

 

水梨口の広場。ここから三段滝へは約30分。二段滝へは通行止め

 

通行注意

 

葭ヶ原から少しきつい上りを経て三段滝へ向かう。途中、仮設歩道がつけられた場所もあったが、概ね歩きやすい。12時15分、三段滝に到着した。スタートから約2時間25分だった。

三段滝は全長150メートルの巨大な滝で、落差は下段が10メートル、中段と上段は8~9メートルもある。滝壺は約10メートルの深さの巨大な淵になっており、観覧台は岸壁に張り出すように取り付けられている。

 

三段滝と広大な滝壺の淵

 

三段滝の説明板

 

轟音を立てて流れる三段滝

 

ここには以前にも紅葉シーズンに来たことがあるが、緑が深まるこの時期はまた違った味わいがある。豊かな水量が響かせる轟音も心地よい。滝を見ながらおにぎりと菓子パンの昼食を楽しんだ。ちなみにここから先、三段滝から竜門、三ツ滝(三ツ滝は第81回聖山・高岳 https://hread.home-tv.co.jp/post-436260/ をご覧ください)を経て樽床ダムに至るルートも落石の危険があるため通行止めだ。

 

三段滝から先は通行止め

 


バスを目指して急いで下山


探勝道とはいえ、スタートの正面口から三段滝までの距離は約7.5キロ、標高差は約300メートル。結構登ってきている。足は少々疲れ気味だが、高速便のバスに間に合わせたい。12時30分に三段滝を後にし、あまり寄り道をせずに急いで下りた。黒淵渡舟の上流側にも寄ってみたが、来そうになかったのでまたもしんどい迂回路へ。正面口には14時30分に到着、ゆとりをもってバスに乗ることができた。総歩行距離は15.2キロ、行動時間は4時間46分(休憩時間含む)だった。標準のコースタイムは約6時間(休憩時間を含む)。帰りの高速道路経由のバスに間に合わせるため相当急いで歩いたので行動時間はあまり参考にしないで下さい。

 

2025.6.21(土)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

 

ライター えむ
50代後半になってから本格的に山登りを始めて5年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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