カカオで奏でる、尾道バイブス。チョコレートクリエイター|USHIO CHOCOLATL(ウシオチョコラトル)社主 中村真也
バイブスに導かれ辿り着いた尾道
「USHIO CHOCOLATL(ウシオチョコラトル)」では、世界中のカカオ豆の選別から焙煎、成型まで、すべてを自社工場で手がけています。店でつくられているチョコレートの多くは、カカオ豆と砂糖のみを使用したシンプルなもの。僕はもともとコーヒーがすごく好きで、特にスペシャルティコーヒーのシングルオリジンコーヒーに魅せられました。チョコレートにも同じように単一原産国・単一品種のカカオ豆を使ったものがあり、「ダンデライオンチョコレート」という、サンフランシスコ発のBean to Barチョコレート専門店のチョコレートを食べてとても衝撃を受けました。ジュースが入っているんじゃないかと思うくらい、ジューシーで酸味があった。さまざまなコーヒーに触れていたからこそ、この味の深みを感じることができたと思います。それがチョコレート店をやろうと思ったきっかけです。カカオと砂糖だけのチョコレートにしたのは、「シングルオリジンチョコレート」という、発酵の加減や品種など、作り手によって味や香りが異なるということをみんなに知ってほしいという思いからでした。
尾道との出会いは、本当に偶然でした。生まれ故郷・福岡の居酒屋でのアルバイト辞めて、どうしようかと考えていた27歳のころ、漫画『GOLDEN BOY』の影響を受けて、自転車での放浪の旅に出ることを決意したんです。その途中で立ち寄ったのが尾道でした。日曜の昼間、街からすごくアッパーなバイブスが出て、「ここは絶対楽しい街だ」と感じたんです。2、3日遊んでいくつもりが、結局そのまま住みついてしまいました。
尾道では、知り合いの紹介で「やまねこカフェ(現やまねこ)」で働くことに。元々manu coffeeという福岡にカッコいい喫茶店があり、そこにあこがれてコーヒーが好きになった。産地には相当こだわっていたのにも関わらず。カジュアルな雰囲気のギャップに魅せられた。
産地にこだわるようになり、チョコレートに興味を持つようになったのも、manu coffeeへのあこがれと、やまねこカフェでコーヒーを学んだのがきっかけでした。2011年ごろ、カフェの先輩から独立を勧められた時、最初は自分には何もできることはないと思っていました。でも「独立」というワードが残っていて、チョコレートを見つけ出した時、それが紐づいたんです。もちろん、コーヒーが好きで、コーヒーでやっていきたい気持ちもありましたが、どうせやるなら日本一をめざしたい。競合が少ないチョコレートの分野ならいいかもと思ったんです。
一人では規模が限定的になるので、仲間を集めることにしました。たまたま尾道に移住してきた2人を誘って、2014年11月にウシオチョコラトルを立ち上げました。「ウシオ」は娘の名前から取って、カカオの買い付けで行ったグアテマラで「チョコラトル」が「チョコレート」の語源だった事を知りそう名付けました
ビジネス拡大も、予期せぬ苦難が続く
母がクリスチャンだったこともあり、「なぜ豚や牛は食べて犬は食べないのか」など、食べることの意味にも向き合うようになり、僕は自然とヴィーガンの道を選んでいました。自分がヴィーガンということもあって、シングルオリジンチョコレート以外に乳製品のかわりにカシューナッツを使ったミルクチョコレートをつくるなど、どんな加工をしたら合うか、そういうことをみんなで探求して、自分たちだけで考えるクリエイティブも大切にしたい、自分で何かを生み出したいと思うようになりました。
「ウシオチョコラトル」は開店当初から多くのメディアに取り上げられ、売り上げは年々上昇。卸先も増え、2018年にはヴィーガンをテーマにした姉妹店「foo
CHOCOLATERS」が広島空港にオープン。認知度が高まるにつれて、交友関係も広がっていきました。
今思えばバズったことが快感になり、どこに行ってもチヤホヤされて、承認欲求が高まっていた。本来の目的を見失っていたのだと思います。「こんなにおいしいチョコレートをもっと知ってほしい」という気持ちでつくっていたのが、いつしか「いかに売るか」ということばかり考えるようになっていました。そういう気持ちでいるとよくないことを引き寄せるもので、思わぬ苦難が続いて経営が苦しくなっていきました。2018年には、向島での受刑者脱走事件による島の封鎖や西日本豪雨での道路寸断で売上が激減。金銭トラブルもあり、姉妹店は閉店を余儀なくされました。
そして、なんとか立て直そうとしていた矢先に追い打ちをかけたのがコロナ禍です。人件費を削り、自身の給料を半分にするなどしていましたが、お金が底をつき、長期間の苦境に入りました。かなり落ち込みましたが、コロナに負けてなるものかという思いで150人規模のパーティーを開いたんです。無茶な行動でしたが、その時に出会った人たちとの交流があったからこそ今につながっていると感じています。
ひろしま未来区民として
苦難を経て、今はカカオニブを使った溶けないチョコレート「CHC(クラックヒップカカオ)」など、新たな商品の販売に力を入れながら、チョコレートに留まらず、ラップ活動やアート(貼り絵)などにも表現の幅を広げています。チョコレートの数字だけを追いかけていたら、すでに折れていたと思います。一見無駄に見える活動も、心の支えになっているし、新しい出会いにつながっている。人との出会いは才能だと思うんです。僕自身が歌を本気で最近やり始めたことでみんなが喜んでくれて、ついでにチョコレートも売れる。
新しいことに挑戦し続けるのは、「自分の世界を変えたい」という思いがあるからです。チャレンジしなければ変わることはできない。今は本当にやりたくてやっていることばかりですが、どんなことでも行き当たりばったりだから生まれるものがあると感じています。僕にはそれが性に合っているんです。
僕がたまたま広島に来て、たまたまチョコレート店を始めることになり、いろんな出会いにつながっていった。そんな中で生まれた「ウシオチョコラトル」のあるチョコレートを食べた人が、「このチョコレートを食べたことで人生が楽しくなった」と言ってくれたんです。これが、製品がもつ振動、バイブスです。この言葉を聞いた時、この人たったひとりのためだけでもチョコレート店をやっていてよかったと思いました。
チョコレートは世界中の人が知っていて、多くの人が大好きな食べ物です。日本や広島を世界に向けて表現できる、とても強いツール。僕たちがつくるチョコレートが、少しでも人の幸せにつながることを願って、これからも広島から表現していきたいと思います。