国史跡・日本百名城の一つ『湯築城跡』/道後公園(愛媛県松山市)
中世の伊予国の中心都市『湯築城』
松山市には、戦国時代の城(湯築城)と、江戸時代の城(松山城)の二つの城跡があり、なんと、その両方が「日本百名城」に選ばれています。
そのうち湯築城(ゆづきじょう)は、まだお城に石垣や天守閣がなかった時代の城跡で、城郭の彫りや土塁などの遺構が当時の姿のまま残されています。2002年に国史跡に指定され、現在は「道後公園」として整備されています。
湯築城は、伊予国の守護・河野氏が14世紀前半から16世紀末まで約250年間にわたって居城としていた中世の城。戦国期には豊臣秀吉の四国攻めにより白を明け渡すこととなりますが、伊予国の政治・軍事・文化の中心を担いました。
道後公園の春の景色。内濠に沿って桜並木が続きます。園内には気象台が桜の開花を宣言する際の標準木もあって、愛媛県に春の到来を告げる桜名所でもあります。
道後公園名物・武家屋敷を見学しよう!
そして、道後公園の一番の見どころはこちら!豪勢な門構えの武家屋敷が再現されていて、中世の武家社会へタイムスリップできるのです。
武家屋敷の中に入ります。深刻な表情で軍議をしているのかと思いきや、当時流行した連歌の場面を再現しているのだそうです。武家のたしなみというものでしょうか?
武家屋敷は2つあり、当時の生活の様子や調度品などが再現されていたり、中世の道具類や、湯築城跡の発掘調査の参考とした全国の遺跡などが紹介されています。
当時の姿そのまま!土塁展示室
そしてこちらは全国的にも珍しい土塁展示室。土塁に横穴を掘って断面が見えるようになっていて、内部の構造や築造過程がわかるようになっています。
さらに、内濠で囲まれた中央にはこんもりと盛り上がった高さ30mほどの丘陵があり、かつての山城跡も残っています。遊歩道も整備され、頂上まで歩いて10分ぐらいで登っていけます。
頂上まで登ってきました!展望台があって、ここからアッと驚く景色が見られます。
百名城・湯築城から、百名城・松山城を望む!
なんと、西の丘陵にある松山城が見られるのです!「百名城」から別の「百名城」を見られる、全国的にも希少なスポットです。
展望台からは、松山城と松山市街、やや霞んでいますが瀬戸内海の海まで一望できます。
湯築城は、中世の伊予国(現在の愛媛県)の中心都市だったのですが、豊臣秀吉に攻められ落城。お城も廃城となります。その後、秀吉の部下であった加藤嘉明が松山城を築城し、名実ともに政治・経済の中心は松山城へ移行しました。
天守閣がまだなかった中世から戦国時代にかけての武家社会の様子を体感できることが、湯築城跡・道後公園の大きな魅力です。
通称・湯釜薬師。温泉史上貴重な『石造湯釜』
公園の北口付近には、国指定文化財の『石造湯釜』が鎮座しています。
この湯釜は道後温泉の浴槽内の湧出口に設置されていたものといわれ、宝珠には「南無阿弥陀佛」と彫られています。こちらは時宗の開祖・一遍上人(いっぺんしょうにん)が河野通有の依頼により書いたと伝えられています。
温泉の効験の刻文も残る、大変貴重な文化財。道後公園を訪れた際は、ぜひご覧ください。
道後公園
住所/愛媛県松山市道後公園
http://www.dogokouen.jp/
道後公園内 展示施設
営業時間/9:00~17:00 (月曜定休)
入館料/無料
瀬戸内Finderフォトライター 松岡広宣
▼記事提供元
「瀬戸内Finder(ファインダー)」は、瀬戸内を共有する7県(兵庫県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県)の魅力を世界に発信しています。