バスと電車と足で行くひろしま山日記 第35回 蓮華寺山・高城山(広島市安芸区)

1600年。天下分け目の関ケ原の合戦で敗れた西軍の総大将・毛利輝元(1553―1625)は広島の地を追われ、防長二か国に減封された。代わって広島城に入ったのが豊臣秀吉の小姓から身を起こし、賤ケ岳の戦いなどで武名をはせた福島正則(1561―1624)だ。福島正則は領国の安芸・備後の総検地を実施し、石高を把握した。その際、寺領を取り上げられ、廃寺となってしまった大寺院がいくつかある。広島市安佐南区にアストラムラインの駅名と地名が残る長楽寺も、いまでこそ荒谷山(標高630.9メートル)の山腹に再建された小さな不動院を残すだけだが、毛利氏の治世では七堂伽藍の威容を誇っていたという。
広島市東部の蓮華寺山(373.5メートル)にも蓮華寺という数十の末寺や末坊をもつ大寺院があったが、福島正則治世下で寺領を没収され、廃寺になったという。古寺の歴史をもつ蓮華寺山と峰続きの高城山(495.6メートル)を縦走し、新交通システムの空中散歩を楽しめるルートをたどってみよう。

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ

行き)JR山陽線(おとな片道240円)/横川(7:07)→(7:38)安芸中野
帰り)スカイレール(おとな片道170円)/みどり中央(12:00)→(12:06)みどり口
JR山陽線(おとな片道330円)/瀬野(12:08)→(12:36)横川


林間の登山道は意外に快適


真夏の登山は正直気が進まない。日本アルプスのように3000メートル級の山々なら避暑にも絶好だろうが、広島県内の低山ではそうはいかない。熱中症も怖い。だが、低山の登山道の中には、樹林に覆われて見晴らしがよくない代わりに日差しを遮ってくれるので快適に歩くことができるところもある。蓮華寺山もその一つだ。とはいえ、涼しいうちに山行を終えた方がいいのは間違いないので、昼前に終えられる計画を立てた。
JR安芸中野駅を午前7時40分にスタートし、住宅街を5分ほど歩くと登山口でもある真言宗蓮華寺に通じる階段に着く。階段を上ると本堂だ。正式名称は八葉山名峰院蓮華寺で、広島新四国八十八ヶ所霊場の三十六番札所でもある。同霊場のHPに掲載された蓮華寺の縁起などによると、弘法大師空海が創建したと伝わり、盛期には山頂から麓にかけて大小幾十の堂塔伽藍が林立し、壮観極まりなかったという。廃寺になった後は長く放置されていたが、1929年に地元出身の僧が寺院を再興。1934年には山上の本殿跡までの約2キロの登山道沿いに88体の石仏を配置し、その下には四国八十八ヶ寺の砂を納めたという。
登山道はよく整備されていて歩きやすい。頭上は木立に覆われているので、意外に涼しく快適だ。とはいえ汗は相当かくので、スポーツドリンクでこまめに水分補給をしながら登っていく。

JR安芸中野駅前の案内看板 JR安芸中野駅前の案内看板 道案内は充実 道案内は充実 麓から見た蓮華寺山・高城山 麓から見た蓮華寺山・高城山 蓮華寺への階段 蓮華寺への階段 蓮華寺本堂 蓮華寺本堂 ここから登山道。石仏が見守ってくれる ここから登山道。石仏が見守ってくれる

山中各所に残る古の大寺院の痕跡


登り始めて15分、小さな五輪塔が現れた。左枠の説明板には「蓮華寺首塚供養塔」とある。当時の住職が薬師堂を建てようと整地していた際、石棺と頭の人骨が出土したためそのまま埋め戻した。蓮華寺は福島正則の時代に焼き討ちに遭い、多くの僧侶が殺されたという伝承があり、犠牲者を弔ったのではないかという。
石仏に見守られながらさらに山道を歩くこと30分余り。八十八番目の石仏のすぐ先に広場があり休憩所のあずまやが設けられていた。ここは本殿跡で、奥之院釈迦堂が再建されていたが、焼失したらしい。広場の隅には古い五輪塔があった。

蓮華寺首塚供養塔 蓮華寺首塚供養塔 涼しい林間の登山道 涼しい林間の登山道 標高270メートル付近から鉾取山塊を望む。正面が洞所山(641.1メートル) 標高270メートル付近から鉾取山塊を望む。正面が洞所山(641.1メートル) 本殿と奥之院釈迦堂跡に立つあずまや 本殿と奥之院釈迦堂跡に立つあずまや

その先、登山道から左に向かう「大五輪塔 近道3分」の標識があった。あえて「大」をつけるのは珍しい。行ってみることにした。途中にも寺の建物があったと思われる平地に苔むした五輪塔が残っていた。3分とはいかなかったが、7分ほどで日浦山を望める尾根の先に巨大な五輪塔が現れた。五輪塔は密教でいう地・水・火・風・空の「五大」をそれぞれ方形・円形・三角形・半月形・宝珠形の石でかたどり、下から順に積み上げたものだ。様式から鎌倉時代から室町時代中期の建立と考えられており、上部の空輪と風輪は失われて別の石を積んであるが、それを除いても2・25メートルもの高さがある。これほど大きな五輪塔はあまり見たことがない。堂宇が失われた標高320メートルの山中にたたずむ石塔を見ていると、往時の蓮華寺の繁栄ぶりが想像できた。

大五輪塔への分岐。3分で着くのは難しい 大五輪塔への分岐。3分で着くのは難しい 苔むした五輪塔や人工的に切り開かれた平地が山内に散在する。堂塔の跡だろうか 苔むした五輪塔や人工的に切り開かれた平地が山内に散在する。堂塔の跡だろうか 高さ2.25メートルもある巨大な五輪塔(右) 高さ2.25メートルもある巨大な五輪塔(右) 大五輪塔の地輪には文字が彫られていたが風化して解読できなかった 大五輪塔の地輪には文字が彫られていたが風化して解読できなかった 大五輪塔の近くから日浦山(左)や似島を望む 大五輪塔の近くから日浦山(左)や似島を望む 何に注意を促しているのだろう 何に注意を促しているのだろう

2ピークを縦走


登山道に戻り、中心広場を経て蓮華寺山頂に着いたのは午前9時15分。山頂広場は周囲の樹木が伸びていてあまり展望はない。東側に鉾取山塊の山並みが見えるくらいだ。写真を撮影して高城山に向かう。2つのピークを結ぶ稜線の縦走路はあまり上り下りの高度差がない。高城山のピーク直前の急坂を除けば、快適に歩くことができる。とはいえ、結構距離があるので、水分補給に気を付けながら進む。縦走路上にはイノシシの沼田場もあった。
高城山の頂上についたのは午前10時45分。蓮華寺山のピークを出てから約1時間30分だった。稜線上は樹林の中の道をひたすら歩くだけで、景色を楽しめる場所もほとんどなく気分的には結構疲れた。
高城山の頂上は東側の樹木が切り払われて見通しが良い。気温も上がってきてかなり大量の汗もかいたので、景色を見ながらベンチでゆっくり休憩。紅茶と菓子パンで栄養も補給した。

中心広場。名前の由来はわからず 中心広場。名前の由来はわからず 蓮華寺山の山頂広場 蓮華寺山の山頂広場 名称不明のキノコ 名称不明のキノコ イノシシの沼田場 イノシシの沼田場 岩を割って根を張る木 岩を割って根を張る木 高城山の山頂広場 高城山の山頂広場 高城山頂上からの展望は良好 高城山頂上からの展望は良好

スカイレールで空中散歩


この調子だと予定通り午前中に下山することができそうだ。JR瀬野駅の北側斜面に広がる団地への道をたどる。この団地は「スカイレールタウン瀬野みどり坂」。団地の最上部と瀬野駅は約200メートルの高度差がある。瀬野駅と団地を結ぶ交通機関として1998年に運転を開始した新交通システムがスカイレールだ。鋼桁のレールにぶら下がったゴンドラをワイヤーロープで引っ張って動かすユニークな仕組みで、急傾斜地でも設置できるほか、モノレールなどに比べて建設費や運営コストも安いという利点があるとして期待されたが、広まることはなかった。
みどり中央駅から乗車した。ロープウエーのような外観だが、ゴンドラの支持がしっかりしており、あまり揺れることはない。高度感もあり、団地や瀬野の街を見下ろすことができる窓外の景観もなかなか(動画もご覧ください)。中間駅(みどり中街駅)を経て瀬野駅に接続するみどり口まで6分、ちょっとした空中散歩を楽しめた。
総歩行距離は7.4キロ。みどり中央駅までは予定通り昼前に着くことができた。

スカイレールタウン瀬野みどり坂団地への下山口 スカイレールタウン瀬野みどり坂団地への下山口 スカイレールのゴンドラに乗車する スカイレールのゴンドラに乗車する 中間駅でみどり中央駅行きとすれ違う 中間駅でみどり中央駅行きとすれ違う

 

2022.7.10(日)取材 《掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください》

ライター えむ
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
LINE はてブ Pocket