バスと電車と足で行くひろしま山日記 第22回広島南アルプス㊦(広島市安佐南区・西区・佐伯区)
▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ
帰り)JR山陽線(おとな片道210円)/新井口(17:35)→(17:43)横川
※架線トラブルで実際の乗車は15分遅れ
標高差200メートルを下って己斐峠へ
大茶臼山(413メートル)から己斐峠(ここは「とうげ」と読む)へは、標高差にして約200メートルを一気に下る。本ルートでは最大の標高差だ。大茶臼山までは400メートル級の山々が連なっているが、ここから先は300メートル前後の山並みになる。この下りは滑りやすいこともあって結構足にくる。峠の直前には約40メートルの崖を下る金属階段まである。
己斐峠を通る県道265号は、高速4号線や沼田草津道路が開通するまでは広島市街地と伴・沼田地区を結ぶ最短ルートだった。峠付近は曲がりくねって道路幅も狭かったが、山裾を一部カットして新たに道路を整備したため、ずいぶん改善された。長大な金属階段はその改良工事によって生じた切り通しで切断されてしまった縦走路を復元するために整備されたものだ。
時間なく国泰寺の参拝は断念
下り終えるとボンバスの「己斐峠」バス停。ここには曹洞(そうとう)宗の国泰寺がある。1594年、戦国大名の毛利氏の外交僧として頭角を現し、豊臣政権では大名となった安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が新安国寺として広島城下に建立。毛利氏の後に広島城主となった福島正則の時代に国泰寺と改めた。寺号は豊臣秀吉の死後のおくり名である「国泰寺殿前太閤相国雲山俊竜大居士」にちなむという。現在の広島市中区の白神社(しらかみしゃ)の東隣に堂宇があり、江戸時代は藩主の浅野氏の菩提寺だった。1945年の原爆で全焼し、65年に再建されたが、78年に現在地に移転した。元の所在地にはANAクラウンプラザホテル広島が建っている。
立派な堂宇があり、参拝していこうかと思ったが、時刻は午後2時前。残りの距離と日没時刻を考えるとあまり余裕がない。敷地の入口で頭を垂れて先を急ぐことにした。
「ツキノワグマ注意」
次の柚木城山(339.4メートル)へは、峠道を200メートルほど沼田側に行ったところに登山口がある。土砂崩れの跡が残り、道は荒れ気味だ。尾根に上がったところに、2019年7月にツキノワグマの目撃情報があったことを知らせるポスターが張られていた。人家が近いこんなところで、と思ったが、油断はできない。ザックにつけたクマよけ鈴を鳴らして歩く。
柚木城山への登山口。「マムシ注意」も 「ツキノワグマ注意」目撃は3年前20分ほどで柚木城山の山頂に。新人物往来社「日本城郭体系 第13巻 広島・岡山」(1980年刊)によると、柚木城山には、1530年代に大内氏の家臣飯田式部越中守の居城があったという。銀山城跡に比べると郭も小規模で、砦のようなものだったのかもしれない。眺望はいまひとつ。
ここから10分ほど歩くと「315メートル峰」。近郊の名前のついていない山には、標高を冠して「〇〇メートル峰」と呼ばれているところがある。ここもその一つだが、「見越山」という別名もある。
ここからは草津沼田道路の通る峠に向けて下りが続く。己斐峠ほどではないが、標高差は180メートルほどある。道路に降りる直前はやはり急階段だ。また、足に来る。
鈴ヶ峰を望む 草津沼田道路へ下る階段
眺望の「穴場」鬼ヶ城山へ
草津沼田道路は大型車も通る交通量の多い道だ。信号のある横断歩道を横切って反対側の登山口に取り付き、竹林の中を登る。15分ほどで尾根に上がると、すぐ下に山田団地、美鈴が丘団地が広がる。両団地の縁を回るように登山道が通っているのだが、遊歩道としてコンクリート舗装されていて快適に歩ける。この先にあるのが鬼ヶ城山(282.4メートル)だ。
標高は300メートルにも満たず、あまり名前を知られていない山だが、広島市街地の南部や広島湾が近く、頂上からは抜群の眺望が楽しめる「穴場」だ。山田団地や美鈴が丘団地までバスで来れば、頂上まで楽に登れるのでファミリー登山にも最適だ。
西区やまなみハイキングルートの案内看板 竹林の中の登り返し 尾根に上がると舗装された遊歩道に NTTの建物が目立つ大茶臼山(中央)と柚木城山(右) 鬼ヶ城山の山頂から見た広島市街地と広島湾頂上から少し南に歩くと「八畳岩」(はっちょういわ)と呼ばれる巨岩が鎮座している。岩の前にあった説明書きによると、神の宿る「磐座」(いわくら)だったと見られているという。岩の上に登ると、ゴールの鈴ヶ峰がようやく間近に見えた。
八畳岩。鈴ヶ峰が近付いてきた道行地蔵の悲話
最後の峠に向けて下る。標高差は90メートルほどなのだが、さすがに疲れがたまっていてきつい。峠に降りると何体ものお地蔵さまがまつられた立派な地蔵堂が立てられていた。
このお地蔵さまには悲しい物語がある。由来を記した看板によると、「道行地蔵」といい、1682年に作られたという。当時このあたりには高井峠と呼ばれ、広島城下と結ぶ街道が通っていた。たまたま通りかかった武士が、乳飲み子を連れた美しい女性を見て関係を迫り、拒まれたことに腹を立てて女性を斬殺。その後女性の亡霊が現れて「子どもがお腹をすかしているので連れてきてほしい」と頼むので、不憫に思った村人たちが道々に地蔵を建立したところ亡霊は現れなくなったのだという。昔の街道は美鈴が丘団地の宅地造成でなくなったが、住民の有志と開発業者が協力して地蔵をここに集めてまつったのだそうだ。読み終えて手を合わせた。
最後の登り、ゴールへ
ここから最後の登り、標高差は100メートル余り。自らを励まして足を進めること20分、「東峰まで5分」の標識。午後4時38分、鈴ヶ峰東峰(312メートル)にたどり着いた。大町登山口から8時間。ようやく広島南アルプスの南端にたどり着いた。ここからの眺望もすばらしい。この日は風が強かったこともあり、見通しもすっかり良くなっていた。これまで歩いてきた道のりに思いをはせながら、20分ゆっくり休憩した。
鈴ヶ峰へ最後の登り あと5分! 鈴ヶ峰東峰の山頂に到着 鈴ヶ峰東峰ピークからのパノラマ写真鈴ヶ峰には西峰もあり、こちらの方が標高は320メートルと高いのだが、往復するとさらに30~40分かかる。もう日は傾きかけているし、ここをゴールにすることにして、井口台団地へ下った。ちなみにこちらの登山口にもツキノワグマ目撃情報の表示があった。情報は2021年4月だから柚木城山へ登る途中にあったものよりも新しい。出会わなくてよかったと思いながらJR新井口駅へ。総歩行距離は18キロ、疲れました。
ここにもクマの目撃情報が 新井口駅に向かう歩道橋上から鈴ヶ峰を仰ぐ《付記》記事中にも出てきた「西区やまなみハイキングルート」は、フルコースだと鈴ヶ峰の八幡東登山口から西峰・東峰を経て鬼ヶ城山、柚木城山、大茶臼山、宗箇山を経て三滝寺に下山する(もちろん逆もあり)。全部を歩き通すと13キロほどのロングコースになる。
2022.3.5(土)取材≪掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください≫
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラム「バスと電車と足で行くひろしま山日記」