バスと電車と足で行くひろしま山日記 第21回広島南アルプス㊤(広島市安佐南区・西区・佐伯区)

似島(広島市南区)の安芸小富士を取り上げた回(第4回)で、全国各地に「郷土富士」と呼ばれる山々があることを紹介した。富士山のような円錐形の山容をもつ地元の山を言い慣わしてのことだが、山好きの間には「ご当地アルプス」と呼ばれる山々がある。日本アルプスのような高さも険しい山容もないのだが、いくつものピークを結ぶ縦走路があり、歩き通すことで手近にアルプスの縦走気分を味わえるというものだ。広島でよく知られているのは、広島市街地の西方、武田山から鈴ヶ峰まで連なる通称「広島南アルプス」と呼ばれる山群だ。標高は最高でも500メートルに届かないが、大小15のピークを踏み、全部を歩き通すと20キロ近いロングトレイルになる。今回はその前半、武田山(410.5メートル)から大茶臼山(413メートル)までを紹介する。

▼今回利用した交通機関 *時刻は休日ダイヤ
行き)JR可部線(おとな片道210円)/横川(8:10)→(8:28)大町


名水でのどを潤す


「広島南アルプス」の魅力はアクセスの良さだ。最寄り駅のJR可部線大町駅から登山口までは市街地を歩いて約10分、「武田山登山口 大町コース」と書かれた立派な看板がスタート地点だ。登山道はとてもよく整備されており、歩きやすい。名前はわからないが、恰幅のいい野鳥が目の前を横切り、右手の木の枝に止まってこちらを見ていた。

ロングトレイルの起点となる大町登山口 ロングトレイルの起点となる大町登山口 名前はわからないけれど恰幅のいい鳥 名前はわからないけれど恰幅のいい鳥

10分ほど登ると「名水への道」の標識が立つ分岐に。せっかくだから寄ってみよう。平坦な道を歩くと3分ほどで「大町観音水」に到着した。小ぶりな観音堂の横の斜面から水が流れ出ている。低山の水場は枯れていたり、水質的に飲むのには不安を覚えたりすることも少なくないのだが、ここにはすべての検査項目に適合していることを示す水質検査成績書が掲示してあり安心だ。広島国際学院大学にある有限会社「名水バイオ研究所」による名水鑑定書も併せて掲げられている。飲んでみるとくせのない軟水でのどごしも良い。歩き始めたばかりでのどが渇いていなかったのがもったいないと思ったほどだ。

大町観音水の水場 大町観音水の水場 飲んでも安心な証明書付き 飲んでも安心な証明書付き

 


安芸国守護家の名城跡へ


武田山はその名の通り、鎌倉時代に安芸国の守護に任じられた武田氏(安芸武田氏)の居城である銀山(かなやま)城が築かれていた。安芸武田氏は戦国大名として有名な武田信玄を生んだ甲斐武田氏の庶流。山の麓には平安時代以降、太田川流域にあった荘園の産物を畿内などの本所や領家に輸送するための中継地となる「倉敷地」が置かれ、街道と川・海の舟運が交差する物流と交通の重要な拠点だった。その要所を支配するための格好の位置に城を築いたのだ。
経済的な意義だけでなく、400メートルを超す高さがあり、頂上や尾根上の東西約700メートル、南北約1キロにわたり郭が構築され、軍事面でも強固な防御力をもつ名城だった。室町時代になると安芸武田氏の支配地域は太田川流域を中心とするエリアに狭められたが、敵対する周防の大内氏方の攻撃を退け続けた。しかし、1541年、毛利元就に攻められてついに落城した。この時元就は、夜間に太田川に千足のわらじに油をしみこませて火をつけて流し、大手側から夜襲をかけると見せかけて城の兵力を集中させ、手薄になった搦手(からめて)側から一気に攻めて攻略したという。東区戸坂の千足(せんぞく)という地名は、この故事に由来するのだそうだ。
さすが名城の築かれた山だけに、城郭のあった頂部までの登りは結構きつい。案内板や休憩用のベンチがあちこちに整備されており、迷うことなく自分のペースで登ることができる。尾根上には「見張台」と呼ばれる郭や「犬通し」という堀切、「御守岩台」「館跡」など多数の遺構が残る。西南端には「弓場跡」がある。誰が寄付したのか、弓矢と的が備えられており、実際に矢を射ることもできる。実際にやってみたが、矢は弧を描くように飛ぶのでなかなか当たらず、数本射たところであきらめた。
山頂からの眺望はなかなかなのだが、この日は黄砂、PM2.5、スギ花粉の「三重苦」。白くもやって見通しが効かないため先を急いだ。

北東側から見ると三角形の鋭鋒に見える武田山 北東側から見ると三角形の鋭鋒に見える武田山 きれいに整備された登山道には休憩用のベンチも きれいに整備された登山道には休憩用のベンチも 見張台の岩 見張台の岩 見張台の岩の表面には加工された跡が残る 見張台の岩の表面には加工された跡が残る 鶯の手水鉢 鶯の手水鉢 武田山山頂 武田山山頂 武田山山頂からの眺望。PM2.5、花粉、黄砂でぼんやり 武田山山頂からの眺望。PM2.5、花粉、黄砂でぼんやり 弓場跡に備えられた弓矢と的 弓場跡に備えられた弓矢と的

神武天皇烽火(ほうか)伝説の火山


銀山城跡を後にして峠に向かって下る。急な下り坂は道も少し荒れ気味なので慎重に下る。峠は東山本登山口、東亜ハイツ登山口への道が交差している。地図には峠の名前はないのだが、この先にある地図上の「水越峠」付近には道が見当たらなかったので、こちらが本来の水越峠なのかもしれない。

本当の(?)水越峠か 本当の(?)水越峠か

広島の市街地側から見ると、武田山はこんもりと盛り上がったような姿だが、続く火山(488メートル)は三角形の鋭い山容だ。本ルートの最高峰でもある。伝承によると、日向(宮崎県)から大和(奈良県)に向けて東征中の神武天皇がこの山に登り、火を焚いて狼煙(のろし)を上げ、住民に到来を知らせたことから名がついたという。この故事は古事記や日本書紀などの文献には見えないが、伝承では、狼煙を上げた後に現在の府中町にあったとされる多祁理宮(古事記の記述。日本書紀では埃宮=えのみや=)に入ったとされている(第16回呉娑々宇山で紹介)。頂上には「神武天皇烽火伝説地」の石柱が立てられていた。

頂上から標高にして60メートルほど下ったところに展望の良い八畳岩がある。眼下に春日野ニュータウン、その先に祇園の町や太田川、牛田山が広がり、休憩にはもってこいだ。これからの進行方向に目を転じると、丸山(457.4メートル)、その先に山頂にNTTの施設やアンテナを載せた大茶臼山が霞んで見えた。大茶臼山まで行っても全ルートの半分ほど。ゴールはまだ見えない。

ルート最高峰の火山(488メートル) ルート最高峰の火山(488メートル) 八畳岩からの眺望。眼下に春日野ニュータウンが広がる 八畳岩からの眺望。眼下に春日野ニュータウンが広がる 中央にアンテナや建物が見えるのが大茶臼山 中央にアンテナや建物が見えるのが大茶臼山

体力削られる「峠巡り」


地図を見ていただくとわかるのだが、この縦走路は大小いくつものピークと峠を通っていく。当然のことながら、上り下りを何度も繰り返すことになる。武田山から最初の峠(仮称水越峠)までは標高差約140メートルを下り、火山へは220メートルを登り返す。旧三田峠へ下り、小堀山(399メートル)に登り、権現峠に下り、石山(420メートル)・観音山(426メートル)に登り、大塚峠に下り、丸山(457.4メートル)に登り、畑峠に下る。このアップダウンが地味にきつく、体力を削られるのだ。スポーツドリンクと塩飴でミネラルと水分を補給しながら歩く。

この山並みを越える峠道は、かつては広島城下と伴地区から県北方面を結ぶ街道だったという。車もアストラムラインもない時代には、山越えの道が最短ルート。権現峠には地元の有志が建替えた権現神社がある。ちなみにこれらの峠は「とうげ」ではなく「たお」と読む。

権現峠の祠 権現峠の祠 整備に当たっている地元の人たちの熱意が伝わる 整備に当たっている地元の人たちの熱意が伝わる 石山から歩いてきた火山、武田山を望む 石山から歩いてきた火山、武田山を望む 宗箇山・三滝寺への分岐 宗箇山・三滝寺への分岐

大茶臼山の展望岩でゴールを遠望


畑峠の峠道は舗装路。数十メートル道路を歩いて再び山道に。大茶臼山の山頂にはNTTの建物やテレビ、消防のアンテナ施設があり、畑峠から分かれた施設管理の道路が並行して走っている。緩やかな登りを歩くこと約15分で標高413メートルの山頂に到着。「西区やまなみハイキングコース」の案内に従って道路の脇を抜けると巨岩が重なる岩場に出た。ここは戦国時代に立石城があった。第15回宗箇山で紹介した茶臼山の山頂にあった己斐城(平原城とも)の背後を守る後詰の城だったという。

この岩は「展望岩」と名付けられている通り、抜群の眺望だ。少し強めの風が吹いているおかげで空気も少し澄んできた。時刻は午後1時20分。ここでお昼にしよう。フィッシュサンドを食べながら、南に視線を向けると、遠くゴールの鈴ヶ峰(312メートル 東峰)が見えた。まだ、先は長い。(㊦に続く)

畑峠は車道を横切る 畑峠は車道を横切る 大茶臼山ピーク西側の通称展望岩からルートを見る。ゴールの鈴ヶ峰はまだ遠い 大茶臼山ピーク西側の通称展望岩からルートを見る。ゴールの鈴ヶ峰はまだ遠い

《付記》

「広島南アルプス」をすべて歩き通すには、結構な体力と時間、覚悟が必要だが、体力とかけられる時間に応じてさまざまなルートを選ぶこともできる。武田山と火山をメインにするなら、JR下祗園駅をスタートして武田山憩いの森登山口から武田山に登り、火山へ縦走して権現峠から春日野ニュータウンに下ってもいい。広島交通の春日野北バス停からバスに乗れば横川駅、紙屋町、広島駅へ直結だ。丸山と畑峠の間から宗箇山に向かう道を選び、三滝寺に下山することもできる。大茶臼山から己斐峠に下ればボンバスでJR西広島駅、八丁堀方面に出られる。万一体調が思わしくなくなっても、たくさんある峠道のどれかから下山すれば短時間で市街地に戻れる。

2022.3.5(土)取材≪掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください≫

ライター えむ
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラムバスと電車と足で行くひろしま山日記
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