バスと電車と足で行くひろしま山日記 第4回 安芸小富士~下高山縦走
「郷土富士」と呼ばれる山々がある。富士山に似た円錐形の山容を持つ山を、本来の山名とは別に地域の名前を冠して「〇〇富士」と言い慣わしている例が多い。中国地方唯一の百名山・大山(鳥取県、1729メートル)には伯耆富士、香川県の飯野山(422メートル)は讃岐富士の別名がある。
広島の郷土富士といえば、広島港(宇品)の沖3キロに浮かぶ似島(にのしま)にある安芸小富士(あきのこふじ)。標高278メートルと低いためか、「安芸富士」ではなく「小」がついているのが奥ゆかしい。他の郷土富士に多い通称ではなく、正式な山名だ。
広島市側から見ると、広島湾に浮かぶきれいな三角形の姿が印象的。高層建築が増えた今では見える場所も限られてきたが、広島市域を代表する山のひとつであることは間違いない。陸路のない今回は船で似島に渡り、安芸小富士と島南端の下高山(しもたかやま)を縦走してみよう。
▼今回利用した交通機関 *広島港までのバス便は省略
似島汽船(おとな片道450円 往復券890円)
行き)広島港(9:30)→学園前桟橋(9:50)
帰り)似島港(13:00)→(学園前桟橋経由)→広島港(13:40)
郷土富士@広島への道
似島行きフェリーに乗り込む
安芸小富士の登山ルートは複数あるが、最短で登れる長谷登山口を選択した。学園前桟橋でフェリーを降り(広島港から学園前桟橋に寄港するのは、9時30分発の1便しかないので注意)、似島学園のグラウンド横を抜けて登山道へ入る。
登り始めて間もなく、路面が雨水による浸食で樋のように深くえぐられている場所に出た。歩きにくいことこのうえない。側壁に手足を踏ん張って1メートル以上の段差を越えなければならない難所も。
そこを抜けると急斜面の直登。風化した花崗岩の地面がぼろぼろ崩れて滑る、滑る。低山ではあるが、スニーカーなどではなくグリップの効く登山用の靴の使用をお勧めする。
風化した花崗岩の道はよく滑る
30分弱で似島港からのメイン登山道と合流、一路山頂を目指す。10月初めだというのに気温は高く、汗だくだ。10時30分、赤い航空標識搭の立つ頂上に着いた。
広島市街地や周辺の山々や島々が一望、のはずだったが、木々が伸びて視界をさえぎられるエリアがあり、少し残念。
メインの登山道に合流
南の下高山を望む
安芸小富士頂上から広島市街地を見る。枝が少しじゃま
頂上に立つ航空標識灯
15分ほど休憩して下高山へ向かう。尾根伝いに縦走する予定だったが、あまり人が通っていないような雰囲気だったので少年自然の家方面にいったん下山して舗装路を歩いて下高山に向かう。
尾根伝いの山道を避けたのは、山中の登山道にはクモの巣が多かったこともある。油断すると引っかかって顔に糸が張り付き(しかも容易には切れない)、不快このうえない。トレッキングポールを前方に振り回してクモの巣を払いながら歩かなければならないのには閉口した。
似島にもイノシシが生息
捕獲用の檻。仕掛けてあるのは初めて見た
段々畑の記憶
似島は今でこそ、集落周辺を除いてほぼ全島が樹木に覆われている緑豊かな島だ。しかし、かつては安芸小富士と下高山の周辺を除き、標高の低いところはほとんど段々畑が開かれ、耕しつくされていた。
1962年に撮影された国土地理院の航空写真を見ると、とくに南部は緑の部分の方が少ないくらいだ。
19620513似島北部航空写真(上) 20180711似島北部航空写真(下)出典:国土地理院
19620730似島南部航空写真(上) 20180711似島南部航空写真(下) 出典:国土地理院
さらに古い終戦直後の1947年の写真はこちら(米軍撮影!)右の島は峠島
19471008似島全島航空写真(国土地理院/米軍撮影)
日本全国を旅して人々の営みを記録し、「忘れられた日本人」など数多くの著作を残した民俗学者の宮本常一(みやもとつねいち 1907-1981)は、瀬戸内の海岸沿いや島々のこうした風景を「耕して天にいたる」と表現した。宮本の著作に掲載されている1966年の似島の空撮写真には、狭い耕地が階段状に積まれた風景が記録され、「似島の畑はシマ模様のように美しい」と説明書きがついている。それほど一段の畑の幅は狭いのだ。高度成長期を経てこうした不便な耕作地は次々と放棄され、大半が山にかえった。今回歩いた山中の道にも、かつては畑の中だったと思われる場所がかなりある。
みかん畑の中を通る登山道をたどって下高山(202メートル)頂上に。狭い大須瀬戸を挟んで江田島や能美島が眼前に広がる。旧海軍兵学校鍛錬の山として知られる古鷹山(394メートル)はさすがの存在感だ。
帰途は尾根道を通って似島峠を経て似島港に。ぎりぎり13時発の便に間に合った。
歩行距離は約6.2キロ。島の登山はほぼ海抜0メートルからスタートするので、標高は低くても結構登りがいがある。
下高山頂上から大須瀬戸越しに江田島を望む。左のピークが古鷹山
尾根筋を登るのならここから。似島峠の少し家下寄り
《メモ》似島は日清戦争から太平洋戦争まで検疫所など多くの軍関連施設が置かれた。第一次世界大戦時には捕虜収容所が置かれ、収容されていたドイツ人の菓子職人カール・ユーハイムが日本で初めてバウムクーヘンを焼き、現在の製菓会社「ユーハイム」の祖となったのは有名な話。原爆投下後には臨時野戦病院が置かれ、多くの被爆者が亡くなった悲しい歴史がある。島の案内地図「ガイドマップinにのしま」とカラーパンフレット「ぐるりんマップ似島」は似島汽船の船内で入手できる。
似島の戦争遺構については似島臨海少年自然の家のHPが詳しい。
(http://www.cf.city.hiroshima.jp/rinkai/heiwa/heiwa011/heiwa011.html)
2021.10.2(土)取材 ≪掲載されている情報は取材当時の内容です。ご了承ください≫
還暦。50代後半になってから本格的に山登りを始めて4年ほど、中四国の低山を中心に日帰りの山歩きを楽しんでいます。できるだけ公共交通機関を利用しますが、やむを得ない場合に時々レンタカーを使うことも。安全のためトレッキングポールは必ず携行。年齢のわりに歩くのは速い方です。
■連載コラム「バスと電車と足で行くひろしま山日記」